選択と幸せのうた

一人で生活し始めて気付いた。自立して生きていくこととは、私が苦手としている『選択』を当たり前にこなしていくことだ。
選択をするとき、私はその選択の先に大きな期待を抱いてしまう。
その大きな期待は多くの場合私の足をすくませて、次に進む勇気を奪う。結果、具体的に何が怖い、何が辛いわけでもなく、ただ選択することに過剰なストレスを感じるようになってしまう。選択できること自体は確実に自由である証の一つであり、それでもなお私は『良い選択』を求めすぎて日々多くの時間苦しむ。

 

ルームメイト:エフィーのベッド脇の棚に貼られたポストカード。

”Happiness is a choice(幸せとは選択である)”の言葉の下にバスの両極の席に座る二人。決められた道を走るバスに乗りながらどんな風景を見るかはその人がどんな席を選んで座るか次第。

 

これまで色んな芸術や人や言葉に触れて、「生きることは選択し続けることである」という考え方はあった。しかし生きること、の先にある「幸せ」についてはあまり考えてこなかった。「幸せ」は生きる上では絶対的に必要、それでも私にとっては脆くて儚くて、一度通り過ぎれば消えてしまうものだったから。

日常からいったん離れて不安を感じることもあるけれど、留学し始めて早くも三週間が過ぎようとしている。その中で、日本にいた時より「幸せ」を自分で作りたい、自分で選びたいという気持ちが大きくなった気がする。自分のために動くのが実質自分しかいなくなったのは大きい。起こるすべてが予想外、未知、不思議であるなかで、そこに喜びや楽しさを自分のために見出せるのは自分だけなのだ。

 

私がいつも求めてしまう『良い選択』、求めてしまうのは後々の幸せのためではなく、後々自分がしたことに後悔したくないからだ。過去にしたことは揺らがない。揺らがない真実だけを信じて、それが脅かされないように必死になって、私は未来=次の決断から目をそらそうとする。

選択を委ねられない空間に身を置いてわかった。選択するのは過去を作るためじゃない。未来に踏み出せるだけの糧になる『幸せ』を知るためにするんだ。生きていく中で選択から逃れられないのは事実だ。それならば自分が幸せになるまで何度も何度も繰り返し小さな選択を繰り返して生きていくしかないのだ。

選択を恐れない人はきっとその先にあるものを知ることを遠回りしない人。選択することで例え後悔しても、また次の選択で自分の幸せをまた作ることができる人。

選択から逃げなければ、どんな状況に陥っても自分にとっての『幸せ』からそう遠のくことはないのかもしれない。

未来に希望が見いだせなくなりそうな時こそ、人間には選択が必要なのだと思う。

 

 

さて、前述したように、私にとって『幸せ』とは「脆くて儚くて、一度通り過ぎれば消えてしまうもの」だった。その事実はこの先も変わらないかもしれない。それでもまた、ちょっとでも幸せを感じた瞬間に戻ってこれるように、最近はメモをし始めた。

 

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大好きなアンブレラスカイプロジェクトの写真と一緒に

今まで共感することのなかった歌詞みたいな文章が、ぽん、と自分から出てくるのが恥ずかしいような、嬉しいような…

今着実に自分の中の引き出しが広がって私の未来を明るく強いものにしていっている。

 

いつか切り取った瞬間瞬間を別の場所で広げられる日が来るかもしれない。