Meine Liebling①
以前友人から「あんたは好きなものを語らせると本当に強い。何がどんな風に好きなのか熱く語ってくれるから聞いてる方も興味がわいてくる。何かしらの作品に対する感想をただひたすらに書いたブログを始めたら読ませてくれ。」というようなことを言ってもらえたのがいまだに忘れられない。ブログを始めたこの機会に、一つの記事を使って何かについて熱く語ろうと思う。
ということで、このシリーズではただただひたすら「私のお気に入り」をテーマに語る。(表題のドイツ語は勉強中なので間違えている可能性が大いにある。間違いが判明次第こっそり直す。)
今回は最近聴いている「歌」について超個人的意見のみでガンガン語る。
①『猫とアレルギー』 - きのこ帝国
日本語で歌を作ることの難しさは、日本語の母音を根っこに持った構造に起因する。下手に状況を説明しようとすればリズムが悪くなるし、語らな過ぎればあまりに抽象的で誰にも何も伝わらない文字の羅列になってしまうだろう。時々その狭間をうまく切り抜けて世界を見せてくる歌があって、この『猫とアレルギー』はそういう歌だ。
簡単に言えばよくある二人が人生の道を違えた歌なんだけれど、一方から愛しさを抱いて見つめていた全てが写真のように切り取られて届いてくるのが暖かくて、その温かさ故にとてつもなく切ない歌になっている。
それらしい二人と子猫を映したPVでもつければ物語は受け取り手に伝わるだろう。しかしバンドメンバーが曲を演奏する様子を淡々と撮るだけで更にこの曲が命を持つのは、メンバーが奏でる音一つ一つに何かしらの色や形があって、全てが合わさった瞬間にこの曲が完成するからである。
改めて見て、タイトルの映し方が好きだ、と思った。
うまく言い表せないのだけれど冒頭の短いカットが、この曲の全てを見せてくれるように感じるのだ。
②だから僕は音楽をやめた - ヨルシカ
私がこの曲を初めて聞いたときに感じたのは、自分の心情をそのまま読まれたようなハッとした冷たさとそれを客観的に耳にした時の哀しさとどうしようもない孤独感だった。
この曲を構成するのがどんなに攻撃的な言葉でもそれを胸に入り込む余地を与えてしまうのはどこかでその言葉に同調してしまうからだ。納得ができる生き方をするのは非常に困難だ。他人を羨むことなく生きるのは困難だ。
幸せな顔した人が憎いのは
どう割り切ったらいいんだ
満たされない頭の奥の
化け物みたいな劣等感
このフレーズは私だと思った。
私だと思うのは恥ずかしかった。
けれど私だと思ったからこそ、今海を飛び越えてきたんだ。
③The Hole - King Gnu
アニメ『BANANA FISH』のEDとして使われた『Prayer X』で私は初めてKing Gnuというグループを知った。物語の世界観を「音楽」という別の入れ物で見事に再現し、毎度毎度なかなか救いが訪れないアニメの〆に悲壮感とやるせなさと必死の足掻きをまとった曲が流れる。最初は中世的な歌声に惹かれ、歌詞に含まれる言葉一つ一つとそこに合わせた音の選び方、曲全体のテンポや山谷の流れに聞き入っているうちにいつの間にか他の歌にも手を伸ばしていた。その中でも有名な『白日』のコメント欄に(曲自体にはあまり関係ないのであまり推進できるコメントではなかったが)、
「イメージとして、
『Prayer X』はアッシュ、
『白日』はシン、
『The Hole』は英二」*1
という投稿を見た。
『The Hole』
初めはその衝撃的なPV映像についつい目を奪われてしまうが、聞いているうちにピアノ、ヴァイオリンを初めとするクラシックな弦楽器が作る、危うげで刹那的な空気に気付いて曲に飲まれるようになる。(どうでもいいことだが、私はピアノが活躍する曲に非常に弱い。)
この曲が好きだと感じると同時に、この曲の歌詞一文一文を見るとうまく理解できない部分もある。
例えば、一番のAメロの歌詞にこのようなフレーズがある。
晴れた空、公園のベンチで1人
誰かを想ったりする日もある
世界がいつもより穏やかに見える日は
自分の心模様を見ているのだろう
このような文が何故「この曲」の冒頭に組み込まれたのか。
歌詞にある、「傷口になる」とは実際どういう意味なのか。
そもそも、何故この曲のタイトルが『The Hole』なのか。
そして、自分が愛についての知識に乏しい人間である自覚はあるが、歌詞を噛みしめながらこのPVを見ていると何を愛と呼んでいいのかわからなくなる。わかるようでわからないのが心地よいというのは不思議なことではあるのだが、その上で私はこの曲を何度も聴いてしまう。
④僕らに喜劇を見せてくれ - じん(自然の敵p)、石風呂 Feat.IA
…残念ながら公式のPVがないようなので動画を貼ることはできないようだ。
ここで紹介する唯一のボカロだ。中二の頃ボカロを聴くようになったことは色んな音楽を知る良い機会を私に与えてくれた。これも中学生の頃に初めて出会った曲だが、最近改めて聴いた際、印象が少し変わったので書きたい。
その頃仲良くしてくれていた子が、その頃流行っていた『カゲロウプロジェクト』とその生みの親であるじん(自然の敵p)さんをこよなく愛しており、この曲もまたじんさん繋がりでおすすめされて聴き始めた。中二の私にはまだ感じ取ることができなかったが、今言わせてもらうとすれば、
きらめきを失った「日常」の憂鬱と、同じ日常に埋め込まれた小さいながら確かな「可能性」がアップテンポのさわやかなメロディーに乗せて歌われる、過去と今と未来を繋ぐ歌だ。
疲れた日の夕方にどうしても聴いてしまう。
あー、もう「平成」も終わっちゃったんだな、またあの子に会いたいな。学校から帰るときに見えた夕空が綺麗だったことを思い出す。
…世の中色んな曲がある。曲をどんな風に聴くか、どんな印象を持つかは聞き手の持つ記憶が大きく影響する。私の好きな曲を紹介するというのは私の記憶を分けるようなものなのかもしれない。
*1:それぞれ『BANANA FISH』の主要登場人物