小さい頃、暗い階段が怖かった。

いつからだったか。どんなに自分が恵まれていると思っていても、寂しさの穴に突き落とされる瞬間が訪れるようになった。小さい頃は、『寂しさ』とは孤独な人が感じる可哀想な感情なんだと思っていた。甘やかされて育った人間が抱える『寒さ』なんだと思ってた。しかしここにきてどんなに幸せを噛みしめたとしても自分を守る全てが寂しさを人生からぬぐい取るわけではないのだと気づいた。

 

寂しさは集団の中で息をしている時ほど感じる気がする。桃色の肺のまま喫煙所に迷い込んでしまったみたいに同じ空気を美味しいと思えない心地悪さ。楽しそうに煙草を吹かす友だち、どっと笑う集団、煙が肺に入り込んで苦しい。愛想笑いしてた頬が引きつってきて目が眩む。俯いて黙り込む私に気付かない人達、軽く笑って流す人達、決まって誰かしらこう言う。

「あんたも煙草を吸えばいいのに。」

いつもは何とも思わない誰かの笑い声、笑顔、幸せが急にこちらに牙をむいて私を脅かす。誰が悪いわけでもない、って言い聞かせて。それでもやっぱり、怖い。

夜は何かを確かめたくなる。愛なり地位なり信頼なり、自分がそもそもここに存在しているのかなり、色んな『当たり前』のヴェールで隠されていたものが急に曖昧不確かなもののように見えてきて喉元がギュっとする。

 

確かめなければならない。確かめさせてて欲しい。愛の押し売り、受け売りの言葉じゃない、ありきたりなツギハギの日本語で宥めようとしないでほしい。殺気立った猫に水をかけるみたいに、解決策を叩きつけてほしいわけじゃない。いっそのこと麻痺させてほしい。私の心が何も感じなくていいようにまた『当たり前』のヴェールをかけてほしい。小さい頃に何でもない暗闇が怖かったように、知らない人が怖かったように、どんなに時間がたっても怖がる小さな私が若者の皮の中で涙を堪えている。

世界各国『オトナ』は辛いことがあると美味しいお酒を飲んで気を紛らわせるらしい。一応大人になったのでこの間コクリと飲んでみた。お酒というものは、如何せん美味しくない。大人になりたいから飲むのだ。大人になったから飲むんじゃない。その瞬間、大人になれないんだな、とすさまじい勢いで悲しくなってやめる。臓器の痛みと弱くなってしまった頭と心と口の中の苦みだけを残して、赤く染みができたグラスを置いた。明日の朝、きっと何もかもを忘れてるであろう自分に望みを託してちょっとベッドに横たわった。

雨はいつか止む。雨の後には虹が見えるかもしれない。でも長く続く冷たい土砂降りの雨を耐えるにはどうすればいい。

どんな夜にも朝が来る。でも砂が詰まったみたいに重い頭を抱えて秒針が鈍く動くのを待つのは誰にとっても苦しいはずだ。

逃れられない寂しさからを耐え続ける時間が少しでも短くなるように、神様なんか信じてないけど、祈る自分がいる。安心したい。どんな手段でもいい。安心して眠って、運が良ければ明日を迎えたい。