巡り巡った日々

一ヵ月前。2月12日。今年もまた私の誕生日が来た。

 

今年、私は二度誕生日が来た。日本時間と現地時間、そのどちらでも誰かしらが私を覚えていてくれて、私にメッセージを送ってくれたのだ。ここで時差が影響してくるとは思わなかった。

 

笑ってしまう話だが、日本でいたとき、誕生日は私にとって嬉しいのに同時にむなしくて苦しい日だった。変な例えだけれど、まるで知られぬように必死にもがく夢を見ながら目を覚まして現実に上目遣いで媚びるようなことを続けていた気がする。ずっと人からの想いに飢えていた。どんなことをされていても自分の中では何かが欠けていて、祝ってもらってるくせに義務感で祝われているような、相手の自己満足で祝われているような、そういう懐疑心でがんじがらめになって不満で満ちていた。何度も重ねた「ありがとう」は裏を返せば「お腹すいた」。誕生日を楽しみにしていてもその期待値を何も越えてくれない、みたいな飢餓状態。何度も言うが、祝ってもらいながら、全くもって失礼な話なのである。

その原因にようやく触れられた気がする今年である。
こっちで驚いたのは、留学生たちが皆自分の誕生日パーティーを自分で企画していたことである。日本では誕生日をどう祝うのかきかれて、友人か恋人、家族でこじんまりとした食事をするのが普通、と答えると皆揃いも揃って「信じられない、この民族…」という顔をするので笑ってしまうのだが、それで思い出した。
アメリカで生活していた時、子供たちは親と話し合って誕生日に何をするかを企画していたじゃないか。
色とりどりのプレゼント、クラスメイト総出の誕生日会、ジムナスティック好きなあの子はスポーツジムを借りてトランポリン。動物が好きな子は動物園の一角でふれあい型のパーティー。一人一人のクッキーを創作できるクッキーづくり体験、自分が選んだ毛色のクマのぬいぐるみにはそっとキスを添えて小さなハート形の心臓を自ら入れてやった。そして誕生日の子は勿論メインなのだけれど、招待された友人は必ず手土産を携えて、「あぁ、楽しかった」というあたたかい気持ちを抱きながらおうちに帰ったんだっけ。

私はこちらでできた友人全員に大急ぎで連絡をとった。私の誕生日会のテーマを『日本文化』に定めた。何人かは助っ人として当日早い時間に来てもらい、半年前にようやく自炊を始めた自分でも作ることのできるレベルで海外の人の口に合う、美味しいもの。そう考えてお好み焼きと太巻を作ることにした。半年で仲良くなった何人かの中には料理上手な人もいて、プレゼントとして私の大好物を添えてくれた。参加者が言い慣れない料理名を大切そうに口にして「美味しい」と笑ってくれた。
そして、そうそう、手土産。パーティーの終盤、漢字一文字とその意味の意訳を書いたカードをメンバーにプレゼントした。それぞれに送る漢字には意味があった。私からみたその人の強い印象、そして私が羨ましい、自分に欠けている、と思っているその人の強み、として漢字一文字。それを皆の前でゆっくり解説して、心を込めて渡した。

皆あまり親しみのない文字と、突如自分に向けられた言葉に戸惑ったようだったが、全員に渡し切った後、ふと一人が「あんたのは?」といたずらっぽく笑った。そこから全員が示し合わせたかのように笑みを浮かべる。もちろん参加者向けのものだったのでそんなもの用意していなかったのだが、あれよあれよとあまりのカードにメッセージと「メンバーから見た私」が記されていった。

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「ソラ」勿論裏にもあるのだけれど、表のシンボルを。

一日が終わった後、私はそれまでの誕生日で感じたことがなかったにもかかわらず、ごく自然に祝福されているような気持ちになっていた。

誕生日はもちろん自分のためのもの。それと同時に、自分にかかわってくれた全ての人に向けるもの。その延長線上に「祝福」みたいなものがあるのだとしたら。

自分にも他人にも心を注ぎきれなかった日々にようやく終わりが見えてきたのかもしれない。