夏が来る

 

忘れられない人がいる。

 

中学二年生、クラスにその人はいた。

私は通っていた中学の中でも意識が高くて賞も何回か取っていた大人数編成の吹奏楽部に所属していた。大体の友達は部活で作っていた。

部活に入部することが義務付けられている私の中学で実質帰宅部だった情報科学部にその人は所属していた。

私の中学は近所の大きな二つの小学校の寄せ集めで、その人はもう片方の小学校から来た。知らない人。静かそう。真面目。そんな印象だった。

絶対に交わるはずがなかった。

ある時同じ班になったのがきっかけ?図書委員で一緒になったのがきっかけ?何故仲良くなったのかは覚えてない。穏やかな中に隠れたいたずらっぽさと、笑った時眼鏡の向こう側で細められた目が、ただの真面目さんじゃないことを私に気付かせた。

その頃の私と言えば、趣味は読書。寝ても覚めても本を読む。好きな歌はクラシックと小学二年生の時に習った合唱曲。テレビ番組もそんなに見ない。漫画なんて母が昔買った萩尾望都清水玲子とその他諸々の古き良き作品以外に読んだことが無い。どこか浮世離れした人間だったかもしれない。幼稚園の時まで滞在していたアメリカにも、生まれ故郷の日本にも染まることができずに家の中のルールで完結した世界で生きていた。

その人が話す『ボカロ』の話題にふんふんと相槌を打って、おすすめされて試しに聴いた曲がとっても良くって、次の日学校に行って「聴いたよ」って話したらすごく嬉しそうにしてくれて、もっともっと、って紹介されるボカロやアニメの世界に、当時何にも染められていなかった私はすぐさま飛び込んでいった。

『推し』とか『萌え』とか『初音ミク』じゃない、『IA』とか。しょうもないようなことを私はそこで初めて知った。

じわじわ体が泡立つ時代と文化の最先端技術が叩きつけられた音楽も、曲と曲で繋がり合うストーリーも、加速していく情熱も、部活じゃ知ることができないものだった。

 

程なくしてその人と始めた交換ノート。小学生でそんなものおしまいだと思ってたのに。私達は絵を描いたり漫画を描いたり短い小説を書いたりして毎日のようにノートを交換し合った。

その人は頭が良かった。

その人は何を見て、何を聴いて、何を隠すべきか知っていた。

出しゃばりで身の程知らずな私が、給食の時間リクエストされて流れるボカロにあからさまに盛り上がって周囲を引かせていた一方で、その人はいつも通り静かに口を動かしていた。

よく知られたオタク御用達のお店、私達の地元にもあった。青いビニール袋をいつまでもぶらぶらさせていると「しまいなさい」とたしなめられた。

自分が応援するボカロPの音楽をシリーズやジャンルにこだわらず積極的に視聴しに行って、場所を選んで「好き」を口に出せる人だった。

その人は漫画家になりたかった。小さい頃お絵かきの延長線上で誰もが目指す夢とは異なり、その人は本気で絵を勉強して、絵を描いていた。交換ノートでリクエストしたキャラクターの立ち絵は美しかった。今まで出会ったどの知り合いの絵より手慣れた線で、その人は『好き』を書きとっていた。

初めて一緒に推してるシリーズが漫画化して、一巻を買いに行かないかと誘ってもらった時、嬉しかった。誰とも仲良しごっこを遊ばなかったその人が自分に見せてくれる優しさが嬉しかった。

その人は仲良くなってみれば甘えたで、手を繋いだり抱き着いたりするのが好きだったのかもしれない。スキンシップなんて暑苦しい、つるみたいだけの女子が青春の真似事で行うものだと思っていた私なのに、その人の白い肌が触れる時は嫌な気持ちがしなかった。寄りかかられた時ふわりと漂う甘い香りが私を安心させた。

受験期を控えたある日、何の気なしに「志望校決めてる?」とメールで聞くと「まあ、一応。」とさらりとした答え。詳しく聞いてみると東京にある私立高校だった。私よりも見えている世界が広くて遠いのか、とぼんやり憧れた。私が駄々をこねたまま立ち止まっている間、その人は自分の未来を他の人に委ねることなく歩き続けていたのだ。

 

中学三年生でクラスが別れた。強気に構えていた私は出ばなをくじかれた。たかだか半年前に知り合った人が、視界の中にいないのがこんなに不安で心細く思うことがあるのかと驚いた。これからどうすればいいのだろう、と途方に暮れた。

それでも毎日ノートを交換することを口実にしてお互いのクラスを訪ねて話すのは楽しかった。休み時間、移動教室ですれ違えばちょっとした立ち話をする余裕があった。放課後パソコン室に時々いるその人をガラス越しに探すのが好きだった。気付いて控えめに笑みを浮かべるその人に譜面台と楽器でふさがれた両手でも精いっぱい手を振り返した。吹奏楽部を引退した後はどちらからともなく誘って一緒に帰るようになっていた。遠回りになるのにうちの前まで送ってくれるのが嬉しかったが、私が同じことをしようとするとその人はやんわりと断って私を帰らせた。

秋が深まり冬が来ると私を安心させるのはその短い帰り道だけだった。どうにかしてゆっくり歩いたり、家の前で話を続けようとしてもやはり引力に引かれるように私達は「また、明日」と手を振った。

両親、特に厳格な父の圧に負けるように、私は遠回りになるその人の家の方向に行くのをやめた。私の家の方に寄って、とも言わなかった。その人は分かれ道で手を振ることが増え、それでも気が向くと最後まで遠回りを続けてくれた。

私は古いタイプの小型音楽プレイヤーを使って、二人でずっと応援していたとあるボカロPが作った一連のシリーズ楽曲を聴きながら受験勉強を続けていた。シリーズ内で時折モチーフとして出てきた「夕焼け」は、現実世界でも自転車で15分程のところにある塾に向かう大きな通りの反対方向から私を照らしていた。茜色の空が美しく広がるその道で、時々振り返って写真を撮った。

 

 

春、信じられないことに、私は第一志望の高校に合格した。

その人を含む友人たちに、シリーズに出てくる秘密組織が出す信号を真似て合格の知らせを送った。何通か返ってくるメールに紛れてその人からはただ、「よかった。」とだけ、その後は特段話題が出てくることはなかった。

 

今なら自分がまだ幼稚で何も気付けない人間だったとわかる。友達全員が受験に成功するわけではない。一人取り残された人がどんな気持ちで「成功者」の隣を歩くのか。そういうことを私は人生の中で取りこぼしていた。

 

そこからだ、何かが歪んできたのは。

受験の前のように、一緒に帰る習慣は続いた。しかし何度尋ねてもその人は進路がどうなったのか教えてくれなかった。ある日、「じゃあ、私も久々にこっちから帰ろうかな」と遠回りしようとすると、その人がぽつり「もっと早くそうしてくれたらよかったな」と呟いた。

口調や態度が大きく変わったわけではなかった。それでも、今までのように軽口を叩いたり、冗談でなりきったフリをしてみたとき、うまくは言えないが意地悪なぐらいに素っ気ない答えが返ってくる瞬間が確かにあった。

 

卒業式、あんなに仲良くしていたのに、寄せ書きのページで書かれたのは二言。

「今までありがとう。これからもよろしく。」

私はノートに書き綴られた長い長いその人そのままの文章を知っていた。同じ人がこんな典型文を走り書きで残すだけであったことに少なからずショックを受けた。

 春休みにその他の友人を含めて行ったカラオケで、私が英語の歌詞を誤魔化さず、そのままの発音で歌うと「そうやって自慢する」と冗談めかして、しかし刺すように馬鹿にされた。言いたいことはたくさんあった。でも喉が塞がれたように声が出なかった。ただ一つ言えるのは、当時の私にとって偽りの音を発することこそ不自然で、私と長く付き合ってきてくれた人にきかせることこそ不誠実なことだった。そしてこの点に関して『仲良くしてきた人』にこんな風に言われたことは今まで一度もなかったためしばらく私は固まってしまった。

 

高校に入って夢中になれる部活に入って、新生活にもみくちゃにされながら、私達はまだしばらく繋がっていた。繋がっていた、と言うか、自分とその人の縁が切れる、なんてことその頃は考えることもなかった。この期に及んでもどうにかなる、時間が解決すると思っていたんだと思う。

 

夏、友人づてにその人の高校の文化祭に誘われた。私はその人の高校をそこで初めて知った。私も名前を聞いたことがあった県内の私立高校だった。

久々に会うその人に変わった私を見せたくて、高校に入って作った前髪を整えてコンタクトを入れて、ちょっとだけ気合を入れた服を選んだ。

 

蒸し暑い道路を歩いて向かった高校の漫画研究会の展示室でその人は部屋番をしていた。私を見るとその人は笑顔を見せた。眼鏡の奥で細められた目が懐かしかった。制服以外には何も変わっていなかった。逆にそれが私達はもう違う場所で生きているのだということを教えてくるようで寂しかった。

最後までその人は私を明確に拒絶することはなかった。それでも、会話の中で時間が解決することなかった、その人から向けられる濁った感情は私を疲弊させた。何度繋ぎ合わせようと必死に誤魔化して顔を上げても、自分が感じるものを自分の中で冗談と下すのはもう限界だった。

夕方、まともに別れの挨拶を交わすことなく、私はその高校を後にした。

悲しくなかった。もう修復されることはない関係だと理解して悲しむのが嫌で、私は腹を立てていた。長い長い帰り道を歩き終えてから、私は持っていたその人とのあらゆる繋がりを遮断して現実に帰っていった。

 

 

 

人間の細胞は六年かけて全て入れ替わる、だから六年たつと人間は物質的にはもう同じ人間じゃないらしい。

あれから六年たった。

笑ってしまうぐらいしょうもない縁で、しょうもない別れ方をした。二人で盛り上がった話題なんて所謂「厨二病」の戯れだった。あんなに嫌いだった女子の仲良しごっこの延長線上にあった儚い関係だったのかもしれない。

それでも地元を歩く度に思い出してしまう。

待ち合わせた小学校前、素直に写真を撮れなかった中学校の桜の木の下、時折胸が痛くなって迷い込んでしまうあの店、青い袋は誰かにせかされるように鞄の奥へ仕舞い込んでまた現実に戻る。もしかしたら会えるんじゃないかって駅構内にぼんやり目を向けて、慌てて改札を通る。

あんなに近くにいたのにもう会う約束もできないのだ思うと、愚かにも自分で切った縁なのに儚さが胸に深く染み入った。

 

それでもようやく理解したことがある。

この人は私の世界を大きく広げてくれた人。

あなたがいたから私は偏見無く愉快で美しい世界を旅し続けられる。

あなたがいたから夏が一層切なく青く見えてくる。

あなたが秘密主義だったの、かっこよかったけどやっぱりちょっと寂しかった。

あなたが教えてくれた夕焼けの色にずっと恋をしているみたいなんだ。

夏は一年の中で空が一番きれいなことを、あなたは知っていますか。

まだ二人で聞いたあの曲を覚えていますか。

ほら、また夏が来る。