生き方、死に方、待ち方

 老いた先にも新しい何かがあると信じているのでできれば長く生きていたいと思っていた。

 

でも時々もしかしたら勢いよく開花して、伝説的に悲劇的か、それか惨めな最期が待っているのではないかと思う時がある。ふとそう感じたのは、暇つぶしに行った性格診断の結果でマリリン・モンローの言葉に出会った時だった。

 

I'm selfish, impatient and a little insecure. I make mistakes, I am out of control and at times hard to handle. But if you can't handle me at my worst, then you sure as hell don't deserve me at my best.

 

私は自分勝手でせっかちでほんの少し不安定。間違いを犯すし自分をコントロールできないときもある。でも私の最悪の時にきちんと扱ってくれないなら、私の最高の瞬間を一緒に過ごす資格はない。

 

こんなことを公に言いきれてしまう人間はそう多くないと思うけれど、良くも悪くも私はこの言葉に自分を重ねてしまった。

調べてみれば、マリリン・モンローは名声を手にしながら幸せとも不幸せとも言い切れない人生を歩んでまだ若くして死んでしまったらしい。死の原因も未だ明確ではないという。

私は今のところ幸せに生きている。過去に戻って何かやり直したいと「心の底から、本気で」思っていることは一切ない。きっと何度でも同じ過ちを遅かれ早かれ犯してしまう。それなら今のままで自分がしでかしてきたことを背負っている方がよっぽどいい。でも未来のことなど何一つ予想できない。もしかしたら明日には酷い事故に遭って原型を留めないモノになってしまうかもしれない。もしかしたらあと100年生きて最高齢者として有名になるかもしれない。

 

客観的に自分を見てみれば、人並みに生きて人並みに死ねたら幸せなんじゃないかとも思う。まったく、私ときたら、なにをしても感情的で、刺されそうだし孤独になりそうだし自分自身に振り回されて突発的に死んでしまいそうだから。マリリン・モンローみたいに世間を騒がせまくって検死してもらうことになるかもしれない。陰謀論なんか唱えられて政府と私の死が結びついているなんて噂が出まわったら面白いと思う。いや、全然面白くないか。

耐える訓練をすればこの性格も少しは変わるのかもしれない。実際少しは変わっただろう。小学二年生の頃、下駄箱掃除中にクラスメイトの男子に腹を立てて足元にあったバケツを蹴り飛ばした。バケツの中の水は床に勢いよく広がっていった。その後担任に怒られて惨めに一人雑巾で床をぬぐった。床に這いつくばりながら、そこを通りかかった当時好きだった男の子と目が合ったのを覚えている。変な記憶。今はそこまで感情に振り回されることはない気がする。少なくとも物理的になにかしでかすことはなくなった。

ただ癇癪を起こす癖は治らない。おかしなことに、普段は論理的な人間だと評価されることが多いけれどそれは半分以上間違いだ。「感情的」というワードはネガティブな意味を大いに含む気がしている。わかっている。私は「嗚呼誰か自分の感情から自分を守ってくれ」と勝手に願っていて、それでも、結局感情なしで生きていくことなど自分にはできないのだと感じる。

「感情的」という表現は正しく私をかたどっているとは思うものの、世間一般の見解や自身の過去での失敗談のことを考えてみれば、容易に「感情的」を外に向けて自身のタグとして紹介できない。

面接を受け続けて気付いたが、自分は感受性の豊かさ故にとにかく失敗し続けてきた。が、それをなかったことにしたいとは不思議と思わない。夜中の脳みそは本当に意地悪くて、まるでYouTubeの「あなたへのおすすめ」のようなテンションで、脈絡なく、私がしでかした大小様々な過ちを過去7年ぐらいに遡って思い出させて来る。ちょっと前まではそれにいちいち落ち込んで自己嫌悪に陥っていたけれど、最近は一旦ダメージは受け取るものの、すぐに「次の動画」に移れるようになった気がする。自分の愚かさを全く思い出さないよりは定期的に頭を抱える方がきっと私のためになると考えることにした。何度も思い出していちいち気分を害するのは自分のシーン演技の動画を見返すことにとても似ている。自分を変えていくためには、どんなに醜くいものでも自分の産物を受け入れる必要があるのだ。実際に改善することもあれば、実はそんなに改善されてなくとも目が慣れてしまうこともあるわけだが、結果自分の技能にしろ目にしろ変化はもたらされる。

変化は常に必要なのだ。私が特に求めていなくても、生きるために変化することは必要で、それを受け入れられなくなった瞬間私は死んでしまうのだと思う。

受け入れられずに死ぬなら受け入れて死ねればいい。繰り返し考えるが、何が自分にとっての幸せかはわからない。自分のことだとしても明日の自分の幸せと一週間後の自分の幸せは比較したり、決定したり、できない。

 

私はきっといつか独りになる。

一人で生きなければならない自分の一番近くに生きるのが自分なのだから、自分勝手でせっかちで不安定な自分をきちんと扱う自分でありたい。最高も最悪も自分と共に見つめていたい。