2022.3.22の下書き

一年前、私は漠然と「自分には現代日本で生きていける力が無いんだな」と思っていた。これは経済力という現実的な部分もさることながら世間への理解度や自身が管理していかなくてはならない精神力という部分においてもそう感じていた。

毎年毎年感じるが、一年は長くて短い。一年という時間を誤って見積もることのなんと多いことか。反面、計画が苦手な私にとってこの誤差は、実は大体の場合救いになってくれる気がする。なんというか私の場合、遠回りした意味がようやく少し理解できるようになる最小の時間の単位が「一年」だったりする。

 

この一年のテーマは「置いてけぼり」の感覚と、それに尻を叩かれてようやく動き始めた私の中の時間だった。私の人生における大きな節目、イベントが続けて起こった年だったからかもしれない。同級生からは少し遅れて迎えた大学最後の年、就職活動、私のこれまでの学びと生きがいとなる活動の成果を公に示す媒体となった卒業論文の執筆と提出、そして免許証の取得………様々な面で後悔していることはそこそこ残っているが、最初からやり直す気にはとてもならない。自分がいっぱいいっぱいで乗り越えたものは大体そんなもんだろう。皆私を見習って自分にめいっぱい優しくあってほしい。

 

一番寂しく思ったのは仲が良かった友人やお世話になった人、家族が私の元を離れてしまったことだった。元々私の元にいたわけでもないのに私ときたらいつの間にやら皆ずっと一緒に生きていくのだと信じていたのだ。仕事で遠くへ行ってしまった友人もいれば、大志を抱いて故郷へ帰っていった美容師さんもいた。今となってはこの距離感が合っているのだと感じる妹も、去年の秋頃に通学に便利な場所に位置するアパートへとさっさか引っ越していってしまったことが記憶に新しい。そのどれもがとにかくさみしかった。○○見知りを幼い頃から何度も経験してきた私にとって自分の「HOME」の形が変わってしまうことは何より恐ろしかった。その中で自分だけが延々と変わらない時間の中でくすぶっている気がするのも辛かった。

そのさみしさや虚無感はこん棒となって私の尻を叩いた。ベタな話だが、変わらない絆に感謝するきっかけをくれた。必要な変化に押し流されて大切なものまでどこかに行ってしまわないように、これまでの私だったらくだらない意地を張って離していたであろう多方面から差し伸べられる手を、今年は思い切ってぎゅっと握っていた。その結果見ることができた景色は美しかった場合もあったしその反対に、見えていなかったために大いに期待していたものだったのだと気付いて気持ちよく手を離すことができた場合もあった。人も場所も自分のモノにはなってくれない、私自身が誰かのモノになれないように。

 

感情の断捨離というのだろうか。断捨離に対してあまり良いイメージが無かったが、特に前半期自身の感情に溺れて何度も死にかけていた私は初めて、感情は断捨離した方が自由に生きられるもんだな、と理解した。感受性が豊かで表現が愚直だと丁寧にオブラートに包んで言われたことがあるが、私のような人間は世界から受けるパワーをダメージだと理解して尚、それらを自分の中で量産して自分を傷つけてしまいがちなので、必要以上の感情を負わせすぎないように生きようと自分に誓うことにした。このご時世で表現のインプットもアウトプットも、する機会がめっきり減ったがそれはもしかしたら私にとって一種の救いになったのかもしれない。

 

理由をなんだかんだつけて長い間距離をおいていた俗っぽいものは、ちゃんと向き合ってみれば結構綺麗で可愛くて魅力的だ。それに合わせて時折財布がきゅうきゅうと聞いたことのない悲しい音をたてているけれど、それら一つ一つは今の私の年の人間ならまあ通過しているものではあるらしいので財布を撫でつつ享受することにした。一年前は一人で店に入って試着するのがとにかく苦痛だったが、ある日妹と二人で買い物に行って自由気ままに試着を繰り返すその様に圧倒されて、いつの間にか買い物のハードルが下がっていた。今でも妹はその日気分で入った店で自分に似合うものを見つけては良い買い物を続けている。まだ入るのに気後れする店は多いが、少しずつ楽しんでいけたらいいと思う。パーソナルカラー診断やら骨格診断やら、絶対にさっさと行った方がいいのだがこの頃自分自身で似合う色味や服の形がぼんやりとわかってきているため、大金を払って診断を受けに行くためにはまだ腰が浮きそうにない。ただ、今まで興味を持てなかったものは、レールや比較対象を明確にしないまま無理に選ぼうとしていただけだったのだと気付いた。100から選ぶのではなく、自分に似合う40、自分が必要な20、自分が好きな10という風に絞っていければ近い将来きっと重い描く理想的な買い物ができるようになる。

生まれて初めて貯金が足りないと感じるようになった分、いつも以上にしっかりと働くようになった気がする。そんでもって自分の自給の低さに改めて目が回る。愚痴る割に実際の職場環境はそこまで悪いものじゃないからここまで続けてしまった。良い経験をたくさん積むことができたのであとほんの数か月だけど最後まで楽しく客をさばいていきたい。

 

なんども考えた進路先、悪くないんじゃないの、ととりあえず考えるのを保留することにした。いくら自分の専攻と全くもって被らない仕事内容だったとしても、いくら同期との飲み会が楽しくなかったとしても、まあ未来の自分がどうにかしてくれるだろうと思うことにする。これは決して自分への無茶ぶりではなく、自分への信頼故の思考の遮断だと思う。現に何度も「こんなところで私はやっていけるのだろうか」とべそをかいたことがあったが、まあこうして今生きてるじゃないか。それなりにいろんなところで楽しい思い出を作って来たし、その全てを自身に語りかけて微笑むことができるんだから、きっと次の場所でもどうにかなるだろう。私は自分が思うより引き寄せる力を持ってる。

 

卒論執筆を一番近くで見守って助けてくださった教授に「なんだかエリザベートと恋人みたいですね」と半分冗談、半分優しさを含んだあきれ顔で言われた。私のこれは恋と名付けてしまえばそれっぽいかもしれないけれど、厳密には違う。自己投影、同情心、憧れ、冷やかし、祈祷、そんなよくわからないものを乱雑に組み合わせたものだ。けれど何年もこの思いの矢印は変わらなかった。そういう意味では私が抱いた中で最も純粋な愛だったかもしれない。

卒業論文はひいひいと鳴きながらも自分の「好き」を叩きつけて完成までこぎつけたものだった。私は評価されなかったとしてもこのテーマで書くと決めた時から、不格好でも自分が愛せるものを作りたいと思っていた。

結果、自分が愛せるものにできた!と大きな声では言えない、なんとも中途半端なものを提出することになった。それでも、学校から賞をいただいて、ある意味で生まれて初めて自分の執筆物を見える形で評価される経験を得た。

小学生のころから漠然と、いつか多くの人が目にする文章作品を生んでみたいと思っていたのだが、いつの間にやら始まりの一歩を踏んでいたのかもしれない。