花束

1年前に自分が書いたブログを読んだ。

就職活動で短い期間ながらどっぷり病んでいた私が書きなぐったものだ。

なかなかに尖っている表現を使っているもんで、読みながらゲラゲラ笑って、一息ついて、考え込んでしまった。それなりに思うところがあったので書き記しておこうと思う。

 

私はどうにかこうにか就職することができた。就職活動を終えてからしばらく、「しばらく」と呼ぶにはずいぶん長い間、自分の選択を肯定しきれなかった。自分が働くことが悪い夢のように思えた。ビジョンを描くことが苦手で、今を生きることで精いっぱい。なのに、もしかしたら自分が就職する会社は恐ろしい、つまらない、自分には見合わない会社かもしれないと、不安な夜に思いついては何時間もぐるぐる考え込んで眠れなかった。

そうして始まった4月の頭、のっけから大コケしている。集合場所を間違えて、遅刻した。メールには太字の赤字で書かれていたのに間違えるのだから人事泣かせだ。阿呆としか言いようがない。ここで死ぬか、と墓石を注文するところだった。それは嘘だけど。

それでも人事の方の寛大さに支えられて、その後のイベントもどうにかこうにか乗り切っている。中学校の吹奏楽部でこんな事したら先輩に目をつけられて楽器室に呼び出されて説教されているところだ。

 

正直研修に対して、私はほとんど期待していなかった。中学時代の熱血塾での空気を思い出してじめじめしたし、どこぞのつまらない大人か、けたたましい大人が講師を務め、根性論のマナー研修と摩訶不思議が解明されないまま暗記で乗り越える技術研修が展開されると平気で思っていた。

実際始まってみると、講師の方々は皆丁寧で親しみやすい優しい口調と立ち振る舞いが印象的だった。名刺交換一つとっても教える際、私にも納得できるような背景や成り立ちと一緒に教えてくれたので、因習だと思っていたものが実はちょっとした面白い文化だと気付くことができた。

おなじく技術研修でも、人懐っこい講師の方が小難しい構文に対してたとえ話を引っ張ってきてあーでもない、こーでもないと試行錯誤しながら教えてくれた。お昼明けは近くの店で昼食をとって3倍ほどに膨れ上がった腹をぺちぺち叩いて見せながら、演習で死にそうな顔をした私達を鼓舞してくれた。

私にとって予想外に学びになったのが定期的に設けられるスピーチの機会だった。私自身はそこまで喋ることに苦手意識を持っていなかったが、限られた時間の中で決められたお題に沿ってマナーを意識しつつ一人ぼっちで話すのは、思ったよりも簡単ではなかった。初回、うまく話せた!と思ったのに後々講師の方にこと細かくアドバイスをいただいてへこんだ。的確なアドバイスだからこそ、へこむのだ。それでも、しばらくたつとゆっくり受け入れられるようになる。いつも私はそう。最初に受け入れられなかったとしても、ちゃんと受け止めて自分の成長に繋げられる強さがある。私は「自分自身と約束を交わして、どんな形にせよそれを守ることができる」という強さがあることを発見できた。

複数回本番を迎えた後の最終回、講師の方に「あなたは本番の度にうまくなるね」と感心した口調で言われたのが本当に本当に嬉しかった。自分との約束を積み重ねられることも嬉しいけれど、それを人に見える形にまで昇華させられたというのはまた別の大きな喜びとやりがいに繋がるものだ。

研修中に苦手だった同期への自分の見る目が変わったのも興味深かった。他力本願なくせに口だけは達者で、私のように地道な積み重ねを理想としてこなしている人間とは真逆の人間。その人と話していると、勝手に傷ついてしまう自分がいて、できる限り距離をとりたかった。自分が積み上げたものや、大切にしていたものが簡単に踏みにじられてしまいそうで怖かった。

影響を受けたのは同じチームに所属していた別企業の子だった。とにかく話し上手で、雑談のネタとして所謂「すべらない話」を幾つも持っていた。人への甘え方、頼り方に嫌味が無く、自然に仲間に指摘ができるのに不思議と言葉にトゲを感じなかった。人に頼るのが苦手で、以来の仕方も下手くそで、指摘する際ついついキツイいい方になってしまう私からしてみれば、アイドルみたいなものだった。

私と真逆の性質を持った二人は研修期間ずっと漫才のような小気味よい会話を繰り返してケタケタ笑っていた。私はだんだんとそれを聞くのが楽しくなってきて、二人のことをもっと知りたいと思った。

何か一つのミッションを与えられた際、なりふり構わず目的達成に着き進めるのは私の長所のはずだった。しかし、私と同じような進み方をしない人もいる。これまでは無意識にそういう人を軽蔑して、場合によっては排除しようとしていたかもしれない。

けれども進み方は一辺倒でなくてよい。というより、一辺倒でない方がいいのかもしれない。私が歩めなかった道をホップ・ステップ・ジャンプで駆けていくいく二人を最初疎ましく思っていたけれど、そんな道も、そんな進み方もあっていいんだなぁ、と妙に落ち着いた思考で結論付けた。そして私も、色んな道を色んな進み方で進んでいい、時々のんびりしてもいい、とはじめて許された心地がしたのだった。

尊敬できる、理想と思える人は何人いたって良いだろう。また一人、素敵な大人に出会う機会にも恵まれた。私達のクラスのマネージャーを担当していた方は、物腰柔らかでチャーミングで、まだまだ社会に出たばかりの幼稚園児のような私達に対しても目線を合わせて笑顔で対応してくださるような方だった。ちょっとした件で声をかける際でも、名簿を確認してから席まで来てくれるような細やかさには驚かされた。私は未だかつてここまで印象が良い人を見たことが無かったもので、何度か個人でお話しさせていただいた際はその言動一つ一つを辿ってうっとりとしてしまった。最後にひっそり挨拶できるタイミングがあったので、そこで思い切って「○○さんのような社会人になりたいって思いました。」とお伝えしてみた。照れくさげに笑みを浮かべたその方がいつかどこかで苦しむようなことがあっても、私のこんなちょっとした言葉で良かったら支えの一つにしてほしいと願うばかりだ。

そんなこんなであっという間の2か月間だったのだが、私が大昔から続けている文字を書くことが強みだと言い切れることがあるなんて思いもしなかった。小説家になると意気込んでいた小学生の頃や、先生からのシール欲しさに毎日日記を全行書いていた中学生の頃を経て、なんでもかんでもメモを取る癖がついてのは大学入ってからの話だ。特別な日だけでなく、なんでもない日の気持ちの揺らぎや記憶に残った人の仕種、絵、言葉、なんでもいいから書き残すと、自分の足跡が見えて嬉しい。そうして研修先でも勉強用のノートにああでもないこうでもない、悔しかったこと嬉しかったこと訳が分からないことを書き連ねていたら、日報作成や復習の際にそれが私の助けになった。記録の手段であり発散の手段であり、自分を理解する手段でもあった文字を書くことが、巡り巡って私の学びを支えてくれるのは、まるで何人もの私が今を歩く私の背を押して、手を引いて、何人もの私が力を合わせて新しい場所へ飛び込もうとするようで心強かった。

そう、そういうことなので、1年前の私は聞こえていないかもしれないけれど、私の強みは私がよく知っているからどうか苦しみ抜いてほしい。本当ならば安心させてあげたいけれど、その時その時に生まれる感情や言葉こそが私を助けてくれるから。

 

感情を消せればよかった、自分なんていても価値が無いと思っていたのだけれど、私はもう少し踏ん張ってみることにする。

いつも生き生きとした感情を、ありのままの言葉を、ありがとう。

 

言葉の花束をあなたに。