結果

好き嫌いと得手不得手は似ているようで全然違う。

自分の好き嫌いは饒舌に語れるのに、自分の得意なこと不得意なことを考えることはとにかく難しい。

過去の全てにしがみついてるくせに。過去の全てが私を作ったんだって知ってるくせに。いや、だからこそなのか、私は自分の得意なことを思いつくことができない。

「就活なんか、自分を盛ればいいだけだよ!」と友人が言った。私には盛るようなタネさえ思いつくことができない。「社会のためなんてくそくらえでしょ」と笑いながら、平気で人は社会のためになるようなことをする。私は本気で社会のためになるようなことなどできないのに。そこで一つ気付いた。私は社会のために使えそうなものは持っているのかもしれない、でも「社会のために」と自分の中にあるそれを利用するのがもう心底嫌なのだろう。

 

おしまいだ、ばかもの。

 

人に媚びを売ったりゴマをするような行為を自身の根底でもう本当に頭ごなしに軽蔑しているのだと思う。人が嫌いなわけじゃない。人に優しくありたい。時には媚びを売れるしゴマもすれる、たぶん。でも、「誰かの名のもとに自分の言動を提供すること」に対する違和感がどうにもこうにも拭えないらしい。

 

得意なことやら適性やらを考えるために過去の自分の記憶へひとっとび。思い出せることの大体が反省と後悔と、生乾きの洗濯物に袖を通すような気持ち悪さ。過去に酔えた頃は幸せだったのかもしれない。今が不幸すぎるだけかもしれない。どっちだっていい。今の私が一番必要なタネはどこにも見つからない。

 

ありがたいことに何人かの人に自己分析の手伝いをしてもらった。ビックリするぐらい矛盾した意見が出そろって、そういえば私って多面体だったわ、いや生命の形は全然数学的じゃなかったんだったわ、そういえばたまごに何故継ぎ目がないのかっていう謎は未だ解明されてないんだっけ。とかなんとか思った。社会への興味が昔から微塵もわいてこないので、そうやって皆各々が時間を使って描いてくれた私のどの部分をどの職種と結び付ければいいのかも分からなくて、結局全然利用できないでここまで来てしまった。

私と正反対の性格の母に、今の自分に足りないものは何か尋ねれば、情報収集が圧倒的に足りないと言われた。1000000000%その通りだし、なんならそんなのは前提なので、それ以外の新しい意見が欲しいとさえ思っていた。いつも私は母に突破口を求めてしまって、でも母は私に媚びずに現実の、一番地道で手堅い方法を示す。そんな母を正直に尊敬していて、同時にこの思考の溝は一生埋まらないのだと勝手に残念に思う。

 

私は矛盾した人間で、いや、「私」という主語はおかしい。人間は皆矛盾した人間で、なのに、人間の中でも社会に愛される素質がある者が就職活動で「成功」する。私は自分の中にある矛盾を取り繕う・ごまかす・それを社会のためにめかしこませるのが苦手だ。大嫌いだ。そう叫びたいけど、そう叫んでいいのは私みたいに暢気に遊んでこの三か月を過ごしてきた人間じゃなくて、就職活動にどっぷりつかってにっちもさっちもいかなくなって、駅のホームで号泣した経験がある人だろう。最悪だ。私は努力しなかった分、本当の不条理も知らないもんで、「世の不条理」を叫ぶ権利もない怠け者だ。そうやってバカみたいに落ち込む時間すらもう残ってないから、淡々と目の前にあるものを進めていこうと思う。

 

で、私の得意なことの話だけど?

 

はあ、地球の裏側まで回れば見つかるかもしれないし、もう一生見つかることが無いのかもしれない。

 

 

自分を含めた社会に何か言いたかったけど何も言えなかった結果