ちょっと海を越えてみた

宇宙規模で見れば、とある一つの小さな星のとある一つの小さな大陸から塩水を渡って違う大陸に来ただけなのに、どうしてこうも大きな一歩のように思えるのか。

今月から始まった留学の模様を書き記しておこうと、いざここまでのことを思い返すとこんな文章が浮かんだ。

9月11日の早朝に私の飛行機は日本を発ってヨーロッパのオーストリアへと飛んだ。基本的に日々のなんでもないところから感傷的になりがちな私だが、出発直前の私の心中は緊張と実感の無さの狭間にぷかぷか浮いたような不思議な穏やかさがあった。窓の外の夜景がキラキラ綺麗で、たぶん初めて心から夜景を「綺麗だ」と思った。

轟音と共に遠退く日本を見つめて、これまで当たり前にそばにあったものと、これからの明るい未知に思いを馳せて、何故だか今まで全く浮かんでこなかった涙が薄く滲んできた。何が悲しいわけでもなく、ただ自分を取り巻く空間と時間と次元と、その全ての繋がりの中間地点にある「今」の存在に触れたからなのかもしれない。

”every path is a maze”という言葉を聞いたことがある。単純に、一直線にゴールに向かおうとすると思わぬ壁に延々とぶつかり続ける。並の人間はそれに耐えられずに色んなことを諦める。なのでちょっとだけ遠回りすることになっても、興味がないはずのものでもなんでも、触れてみて、ゆっくり歩いていけばいつの間にか夢は叶っている。だから何が起こるかわからないものだね、っていう言葉として解釈している。まだそんなに生きてないにも関わらず、私は物心ついてからこの言葉に触れる経験が何度もあったように感じる。何が自分を過去から未来に繋げるかわからない。ただ、繋げるために途方もない数の選択肢を含んだ「今」を生きていくしかないんだと思う。

 

尊敬する友だちから留学の直前にもらった手紙を通して、「何故この留学という形を選んだのか」と尋ねられた。

その答えとして今用意できる言葉は、「触れなければ永遠にわからないものがあるから」だろう。居心地のいい場所から抜け出して、苦しみを伴わなければわかりえないことが、幸か不幸かこの世の中にはたくさんある。最初に言ったように、宇宙規模でいえば何でもないことかもしれない。他人からしてもどうでもいいことだろう。それでも私が動き出したことで、これは私の中に新しい宇宙を生成するような、私の人生にとって大きな変化になるのだろう。

最後にただ一つ思う。私の大きな変化も、じきに周りにに与える影響力を失っていく。私自身もその変化に順応して、まるでなんでもないものになっていくのかもしれない。

でも、この大きな変化があったからこそ「今」があることを忘れないでおきたい。