漠然とした多幸的平凡

最近遂に書き残したいと思う瞬間がなくなってきた。突き詰めて言うと、改めて書き残す必要があると思う事柄が減ってしまったのかもしれない。

非日常がいつの間にか日常になり、日常だったものが非日常に変わる。それがこの六か月で起こった変化であり、これから夏にかけて起こる変化でもある。さみしさを感じつつも後ろ向きではない。

 

折角なのでこの半年あったことを振り返って書いてみようか、手紙のように。

 

見知らぬ場所に異常な恐怖と心細さを抱きがちな自分にとっては、旅行半分で入寮の手伝いとして共に渡航した母と電車で離れてから、この留学は始まったようなものだった。漠然とした不安によって零れ出た涙は母にもうつり、心のどこかで「泣いたら負け」みたいな片意地を張って生きてきた私達母子にとってこの別れは大変屈辱的かつ、世に言う家族愛の典型をようやく経験できた成功例のような一大イベントだった。

段々大人になるにつれて気付いたが、成長するにしたがって涙を流す回数は減る一方なのに、それに反比例するように泣くのに必要なエネルギーは増えていくばかりなのだ。駅のホームの白い壁に嗚咽が止まらない体を押さえつけて落ち着け、落ち着けと繰り返した。自分が下した選択で自分が望んだ場所に来れていることは幸せなはずだったのに、当たり前に一人ぼっちになった瞬間心は力いっぱい抵抗を始めたのだ。かなしい、さびしい、そういう言葉では言い表せない深い暗い冷たい孤独。周りにはたくさんの人がいるのに、寮に帰れば日本語が話せる寮母さん、部屋に帰ればルームメイトがいるのに、自分はもうとうとう一人になってしまったのだと思うと目が腫れるぐらいに泣いてしまったのだ。

部屋に帰る頃には大分心の整理もつき、不思議な覚悟と重い心臓の鼓動を感じるだけになっていたが、ルームメイトは私を見るなり、「長い一日だったんだね。」と静かに口にした。今思えば、まだろくに話せてもいない相手であったにもかかわらず、彼女なりに優しい言葉をかけてくれていたのだ。

クリスマス休暇にルームメイトの自宅にお邪魔する際、大荷物で駅を歩きながらふと「駅のホームに立つと、はじめてここに来た時のことを思い出すの。」と口にした。晴れた夏のある日、日差しで白く透き通ったように見えた駅構内を思い浮かべていた。すると意外にも「私も全くおんなじ。三年も前なのに今でも初めてここを歩いた日を思い出すよ。」という答えが返ってきた。その声のトーンから、それが彼女にとっても少なからず憂鬱な記憶であることを感じ取れた。

 

私は愛国心、郷土愛、愛校心、部面愛…みたいな、自分の出身を誇る文化があまり得意ではなかった。何かに忠誠を捧げているみたいで、それに加えて忠誠を捧げることで安心を買ってるみたいで、なんだか口にしても言わされている感がぬぐえなかった。
そんな懐疑心旺盛な私が、今いるザルツブルクという街に対しては「好き」と迷わず感じられることは、実はとても珍しいことなのでは、と気付いた。
脱線に脱線を重ねて言うと、ザルツブルクの街が好きな理由の一つに街で生まれるどんな音でも余計な音と思える音がないという点がある。
別に街に音を揃えるための法があるだとか、何か大きな基準があるだとかそういうことはない。路上ではもちろんバス内、大学構内でも好きなタイミングで好きな言語で人々は電話する。道端にはアコーディオン、トランペット、ギター、様々な種類の楽器が音楽を奏でている。夕方の広場で手回しオルゴールを回すおじさんは一昔前の金曜ロードショーのオープニングみたいだ。一方で、車が通ってないわけじゃないのにエンジン・クラクション・ブレーキの音はあまり聞こえない。バスは電気で静かに路上を滑り、時々キュルキュルと独特な音を立てて路線変更する。
日本では聞くことができない音が聞こえて、聞こえるはずの音は聞こえない。
それだけでなんだか現実離れしたような、時間の流れを感じさせない何かがここにはある。


ザルツブルクの風景が私は好きだ。
遠くにぼんやり見える要塞。城。岸壁に沿って建てられた淡い色の家。等間隔に植えられた街路樹。大きいものから小さいものまで、歴史を刻んでなお色褪せない魅力を持った教会。幅のあるエメラルドグリーンの両端を繋ぐために何本もかけられた橋。石畳。海街の物語みたいに白い鳥が川の上空を舞う白く晴れた日。
何周しても新しい発見がある。
こっちでは共同のスペースといえども、自分の部屋の風景を作ることができるのも嬉しい。
IKEAで揃えたちょっぴり歪んで味が出ている食器。偶然が重なって何か月も窓辺で風に揺れているチューリップ。自分が誰で、どこから来たのか、ちゃんと忘れないように貼った写真。はがきやリストを目に見える位置に飾るのも好きだ。ここで作った自分の領域で、私は静かに意識を取り戻していく。

 

いつか見た占いで読んだ最後の二文。
「女だけど、武士は食わねど高楊枝、を地で行くタイプ。」
「いつも無駄に何かと戦ってる感はある。」
なんか運命的テーマを読まれてしまったようでギョッとした。
そういえば強くなりたいと何故かずっと思ってきた。でも強くなるのはすごく難しい。
そうやって欠けたような気持ちになるとき、誰かが好きでいてくれたら強くなれるもんなのかな。とかなんとか思った。でもやっぱり強い女は恋愛に依存しないものなのかもしれない、とも思う。

幸せって持ってるもので測れないというか、月並みな言葉だけど「心の持ちよう」なのかもしれないと思ったのは、こだわる部分以外でたやすく人の幸せを願える自分に気付いたから。人の幸せを心から願える人って実は一番幸せなのでは。

 

こっちにきてわかったこと。

ただ普通に生きてるだけで私たち皆大なり小なり呪いを身に受けて歩いている。

自分を縛る呪いにはなかなか気づけない。何が呪いになるかわからない。どうやってそれがとけるのかもわからない。だけど私達はその呪いでできた尺で世界を測っている。

それは、大体小さな気付きから始まる。

私は正直すぎて人を傷つけてしまう。私は人より太っている。私は英語ができない。私は面白いことが言えない。私は猫かぶりなので人と心の深いところから付き合えない。私はこういう時何もしなくてよい。私はこういう時何かをしなければならない。

黙れ。走れ。息を止めろ。叫べ。泣くな。笑え。

自分の中で無意識に唱えていた情報はいつか私達の言動に影響を及ぼし始め、私達の人格はそうやって形成されていく。そうして私たち一人一人の中に異なる形の「当たり前」ができていく。

 

で、何と言えばよいのやら。

私の中のその枠組みをガシガシと揺さぶられてほろりと目が覚める瞬間がこの滞在期間中に何度もあったのだ。

当たり前だと思って口にしたことが実は自分にかけられた呪いを含んでおり、目を丸くされたり怪訝な顔をされることがあった。

違いすぎる空間に放り出されて歩いていると呪いが篩にかけられるようだ。常識だと思っていた投げかけに「それだからなんなのだ」と根本を疑う問いかけがなされた瞬間、私は過去に飛ぶ。

 

「そういえば、なんで私こうしてたんだっけ。」

 

その瞬間、視界の明度が少し上がったような不思議な感覚に包まれる。記憶の中を歩き回っていると実は傷ついていた過去の自分にろくに頭もなでてやらずに放置していたことに気付いたりする。ごめん、知らんぷりしてて。ありがと、成仏してください、って手を合わせる。その作業の中で見つけるのは必ずしも暗いものだけではなくて、帰ってくる頃には篩にかけられた呪いは消えて、代わりにマイルール、なんてものが可愛くちょこんと座ってたりする。それが真のアイデンティティーというものなのかな、と今では考えている。