近辺整理メモ②

ルームメイト:エフィーは親元を離れて寮暮らしをし始めて四年たっている。一個上の学年で私より二つ年上だ。家族ぐるみのカトリックだが、熱心なカトリック信者の父とはあまり仲良くない。二人の姉とは仲良くやっているようだ。大学の空き時間に、シリアなどの国からの移民にドイツ語を教えるボランティアをしている。土曜日には朝から午後までバイト。託児スペースで働いている。長くて綺麗な赤毛の持ち主だがなんと三つ編みができない。この前三つ編みをしてあげてからは時折「ねえねえ、私の髪三つ編みする気ない~?」とお願いしてくれる。持ち物は大体誰かからのプレゼント。エフィーも毎月一回は誰かしらの誕生日プレゼントを買いに行く。祖父だろうが義理の兄だろうが、身内の誕生日でもあれば電車で一時間の実家へ帰っていく。人間関係に恵まれているし、エフィー自身も人を大切にする人なんだろう。お気に入りの紅茶をいくつか持っていて、寒い日は電気ケトルでお湯を沸かしていい匂いの紅茶を淹れる。

こっちに来た頃は紅茶を選ぶ余裕が羨ましくて、自分でも真似して紅茶コーナーで箱の匂いを嗅いで回った。今では6つの箱がベッド側の棚に並んでいる。

一番最初に手に入れたのは、”Glühweingewürz”。直訳すると「グリューワインスパイス」。グリューワインはドイツの伝統的な冬の名物で、ワインにシナモンなどの香辛料と砂糖を加えて温めた飲み物だ。二年ほど前に『世界のキッチンから』でグリューワインが出た時にドイツ語の先生に「現地の味に近いから是非飲んでみて!」と勧められて友人と購入した思い出。正直味はそんなに好みじゃなかったけれどシナモンの香りはうっとりするほど濃厚で素敵なので今回もそれにつられて手に取った。寒い日の夜は課題をやりながら飲む。

同時に買った「ピュアダージリン」には思い入れがある。以前一人暮らしをしている友人のおうちに泊まらせてもらった際、朝ご飯と共に出てきたのがダージリンだった。アールグレイと並んでよく聞く種類だが、その時に飲むまでは区別がついていなかった。夜更かしをした翌日の疲れた体をふんわり包む上品な香りが忘れられなくて、一人暮らしを始めるなら電気ケトルと共にダージリンを買おうとスマホのメモ帳に記録しておいた。ダージリンを選ぶときは、あの時、少し見ない内に大人びて変わってしまったように見えて少し寂しかった友人のことを思い出す。そして今でも絶え間なく自分と自分を取り巻く環境と戦い続ける姿を思い浮かべて背筋が伸びる心地がする。

”Fix Minze”はシンプルにミントティーなのだが、ここで使われるfixの意味が未だによくわかっていない。今エフィーに訊こうとしたら「明日はテストだからあかん」と言われてしまった。NOと言えるオーストリア人。私も課題が終わっていないときに話しかけられたらNOとちゃんと言おう。それがここでは礼儀だ。そしてNOと言った、言われたところで相手への好意はやお互いの本質は変わらないのだ。話は戻るが、ミントとは私がまだ幼稚園に通っていた時からの付き合いだ。母に勧められて口にしたチョコミントアイスクリームのなんと美味しいこと!!多くの人は「歯磨き粉の味」と例えるが、まだ歯磨き粉を使っていなかった私にとってこの清涼感と甘さの融合は革命だった。恐らく、「ミントが好きかどうか」という事柄に「ミントを初めて口にした頃の年代で歯磨き粉をつかっていたかどうか」という条件は影響しているんじゃないだろうか。

エフィーに手持ちの茶葉を勧められた時に”Kamile”はあった。日本語ではカモミール。何故私がカモミールに惹かれたかというと、カモミールは私の記憶の中で私の母と強く結びつけられているからだ。小さい頃ピーターラビットの絵本を読んでもらった。マクレガーさんの畑で悪さをしたのが見つかったピーターは大慌てで家に帰る。疲れ果ててそのまま風邪を引いたピーターに、心優しいピーターのお母さんはお腹に優しいと言われるカモミールティーを淹れてやる。母が優しい声で口にする『カモミールティー』が私の中で安心、家族、温もり、のイメージを帯びたのも自然な流れだった。渡航前直近の冬、我が家で母が買ってきたカモミールティー、バニラカモミールティーがブームを起こした。毎日のように誰かしらがテーブルに座ってカモミールティーをすすっていた。ザルツブルクでは秋真っ只中、もうすぐ冬が来る。カモミールティーにぴったりの季節だ。

アジアンマーケットで手に入れたジャスミン茶は一番飲んでいて安心する。ジャスミン茶と出会ったのがいつ頃だったか覚えていないが、遺伝子レベルで好きなんじゃないかと思う。お茶の中ではジャスミン茶が一番好きだ。日本で大好きなベトナム料理屋さんに行くと時々ジャスミン茶がある。コンビニにも並んでいる。どこで飲んでもジャスミン茶だけは間違いがない。エスニックな種類なのに他と比べて個性が強すぎず、どんな料理やシチュエーションでも合う。毎口「あぁ、美味しいな」と思わせてくれるお茶だ。

エフィーが例のごとくプレゼントとして受け取ったもので私に譲ってくれたのが、”Wintermärchen”。「冬の物語」。蓋を開けた時思わず、「クリスマスの匂いがする!」とはしゃいでしまった。所謂「多幸感」溢れるフルーツとスパイスの香りに胸を高鳴らせてお湯を注ぐと、なんと、予想外に紫色をした液体が出来上がってしまった。ビビった。箱には全然ベリー描いてないのにベリーやん。オレンジとか赤ならわかるけど、紫って…飲んだらちょっと酸っぱかった。お砂糖を加えるとジュースみたいにおいしく飲めるのかもしれない。

 

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それぞれにこんなに思い入れがあるなんて書くまで気付かなかった

紅茶の紹介だけで2400字以上書いていた。紅茶は私の生活を整えてくれる重要な要素の一つなのだ。

 

留学前、一番自分がどんなことをするのか想像できなかったのが何気に「休日の過ごし方」だった。結果としては、窓辺の机で日記を書いている。始めた頃には想像もしていなかったが、私の日記はかれこれ一年半ほぼ毎日継続されており今三冊目に突入している。始めたきっかけはいくつかあって、それが偶然に重なったことでなんだかんだ長く続いている。毎年甲斐甲斐しく誕生日を祝ってくれる友人がいるのだが、二年前の誕生日プレゼントの一つに日記があった。私は人生の中で何度か日記を書くことに挑戦したのだが、まあ三日も続けば良い方だった。そんな私に友人が選んだのが「気まぐれ日記」というもので、日にち、枠やページ数は決まっておらず、好きなだけ、好きな時に好きなことを書くことが出来る、非常に飽き性に親切な作りになっていた。 

しかし、実はまだその当初(二月)、私には書き続けるだけのモチベーションが無かった。

本格的に日記を書き続けることを決意したのは五月に入ってからだった。その年の冬から夏にかけての約三か月を、英語劇の舞台作りに注いでいた私は公演を終えた五月、ロスにむせび泣き、どうにかして自分が経験したことを残せないかと喘いでいた。しかし恐ろしいことに何も思い出せなかったのである。具体的にどんなことがあったか、なぜ自分が公演を終えてこんなにも苦しいのか、皆がそれぞれに仲の良いメンバーと打ち上げをしているのをSNSで見る中で、私は何にどこに自分の思いを残し、繋げたのかが思い出せなかったのだ。その時ようやく、自分の記憶は自分の願いとは相反する動きをするものだと知った。覚えていたくないものはいつまでも消えないのに、覚えていたかった記憶はすぐに消えてしまう。書かねばならなかった。自信を無くした自分が、振り返って足跡をたどりたくなった時のための道しるべが欲しいと思った。その日のことをその日のうちに書き切ることが難しい時もある。その日から徐々に、瞬間をその場で言葉にしてどこかしらに残す癖をつけた。こうして、自分が書き残したものを元にゆっくり日記をつけている。話は戻るが、そんなこんなで最近の週末の午後は自分のスケジュール帳、SNS、授業のノートを見返して記憶をたどりながら書いている。これが日記と言えるのかはわからないが、少なくとも記録にはなっているので私の目的は達成されていると言えるだろう。

 

窓の外では寮の中庭に生える木がもう葉を落として冬に備え始めている。夜に流れ込んでくる風は心地よい温度を通り過ぎて指先を冷やすようになってきた。こっちでは日常でキャンドルを灯すことが普通だ。冬になったら窓辺にアロマキャンドルを置いてみよう。ほんのちょっとの工夫は日々をこなす潤滑油になる。例えば、通学前の身支度、就寝前のケアを時間をかけて行うこと、授業初めのノートにその日のゴールを書くこと、スケジュール帳に写真を挟むこと、全部ちょっと先の未来の自分が楽しく歩き続けられるようにするための過去の私が用意できるお土産だ。

今日の自分がやったことを忘れないであげたい。絶対に同じ日はなくて、何かしら自分は自身で評価すべきようなことをやっていて、人はそれをすぐに忘れてしまうから。

 

明日はオーストリア建国記念日で、どこの店も休業日になる。続く日曜日も毎週基本的に休業日。この二日間の籠城を楽しむためにお菓子を買い込んだ。未来の自分はきっと今日の私を崇め奉ることになるだろう……