追悼

先日受けた作文試験のテーマに引っ張られて、長らく書いていなかったブログを読み返した。流れで自分の日記を読み返した。ひっどいもんだなと目を細めながら、当時の自分に思いを馳せた。

 

私へ。絶望のどん底で帰国した私へ。お元気ですか。
一年たってもコロナは消えませんでした。春も夏も秋も冬も、マスクを外して外に出られた日はありませんでした。
見えない菌に侵されて沢山の人が死にました。それ以上に沢山の人が期待や希望、夢を叶える瞬間を失いました。皆、私だけじゃないからと我慢してきました。でも我慢は美徳ではないのかもしれないと多くの人が気付き始めました。
私へ。春の桜は綺麗です。ホテルで泥のように眠る私へ。お母さんは私を心配して花見に誘います。あなたはホテルでスーツを纏った疲れた背中のおじさん達が無言で朝食を口に運ぶ姿に酷く失望して、車で涙を流してました。こんな国滅びてしまえと泣きました。こんな世界こんな星滅びてしまえと全てを呪いました。春の桜は綺麗でした。桜をこんなに間近で楽しむことができる日本人でいられてよかったなと思いました。
旅の時間一緒に過ごした猫は今、私の机の前の棚で退屈そうに座っています。そろそろシャンプーをしてあげたら毛並みも元に戻るかもしれません。
私へ。少したてば舞台ができるかもしれないと思った私へ。舞台はできません。あなたが淡い期待を抱いてたてた計画は全て無駄になります。私は生きている意味が本当にわからなくなります。私を止めた全ての人が私の敵に思えてきます。でも私へ。私にはまだ準備ができていませんでした。それに私へ。コロナの中でやったこともない舞台演出を務められるほどあなたは強かでも穏やかでもありませんでした。でもいつか、舞台を作ることができた日には、この時感じた憤りが、無力感が役に立つと思うのです。
私へ。ドイツ語はやはりできません。それでも言葉が好きだと思っていた私へ。あなたを傷つけようとして放った訳ではない友人の言葉が、私の胸を力強く食い破っていきます。人は人の心がわかりません。だから言葉があるのです。そう知っているのにあなたは何度も何度も言葉によって胃がねじ切れそうな思いをします。私は私の言葉を選んで発して、時には口を閉じることも必要だと学び続けていかなければならないのでしょう。人が選んだ言葉に実は意味はありません。受け取り手が意味を定めるのです。だから言葉を慎重に、時には話半分に受け取っていきたいですね。
私へ。皆、皆、変わっていきます。どこかへ行ってしまいます。嗚呼、あの時あの人に会っておけばよかったんだと後悔します。でも長い時間をかけて、来るべき時に人は再会します。だから人の服の袖を掴んで離さない、なんて幼い真似はやめましょう。一言「さびしいね」と伝えてください。それが次の約束になるのです。

私へ。死ぬ意味もないけど生きる意味もないなと仄暗く考えていた私へ。お元気ですか、と訊くのも申し訳ないぐらいだけど、お元気ですか。私はおかげ様で、元気です。驚くかもしれないけど、もうすぐで車の免許が取れそうです。乃木坂の曲って結構いいじゃん!ってAmazon Musicに登録して曲を聴いています。前々から好きだな~と思ってた白石麻衣ちゃんは、何か月か前に卒業コンサートを開いていました。無観客のオンラインコンサートだったけれど、純白のドレスをまとって綺麗でした。私が大好きな『私の少年』は完結しました。最終話を最初に見た時は何とも言えない気持ちになったけれど、今はあれがあの物語の終着点じゃなくて通過点なのかもしれないと思えています。日記は、今4冊目を書いていて、きっと5冊目に近々突入します。ずっと会いたいな、会いたくないな、と思ってた友だちと8年ぶりに再会して、二人で駅前のマックでポテトをつまみました。相変わらず秘密主義で、別れた時より自嘲気味になってて勝手にちょっとだけうんざりしました。失礼だけど。一生会わない方が良かったかな、といつか思うかもしれないけど、それでもそこで繋がった縁だから、大切にしてもらえるなら大切にしようかなって思うのです。就活は良くも悪くも思った通りの進み方をしています。今がこれから来る時間の中で一番早い瞬間なのだから、始めるなら今だ、と毎秒思ってるだろうけれど、それを実践させられるように頑張りたい。難しい。妹は、大学生になれます。第一希望の学部じゃないけれど、妹が自分で呪縛を解いて新しい場所に行くんだと思うと、私はすごく嬉しい。弟は、1年前に色々あって、まだそこから立ち直れてない気がするのです。残念だけど可哀想だと思う余裕はなくて、これからどうなるか見守るしかないと思っています。なるようにしかならないのだと知ったのがこの一年の大きな収穫なので。

私へ。一年たちますが、お元気ですか。未来は明るくも晴れてもいませんが、そのまま進んでいっても悪くないんじゃないかと思っています。

生きる意味などありません。自分がいる場所を愛せなくても苦しまなくていいのです。私達には時間があります。同時に、走り続けなければ時間切れにもなるでしょう。

どこでもいいからここじゃない場所に行ってください。でも時々戻ってのんびりしてもいいんです。あなたの時間なんだから。

矛盾の中で人生を感じてください。いつか振り返って、物語が書けるような瞬間をもとめてまだしぶとく、生きていきましょう。

 

私より

美味しい我が子

就職活動の一環で所謂自己分析をやっている。

自分にとってやっていて楽しいこと、夢中になってできたことを思い出して、そこを自分で深堀りしてどうしたらそれが社会と繋がるか、社会との交わりの点を見つけなければいけないらしい。

私にとって夢中になって楽しんだ、働けたことといえば舞台作りだった。舞台作りといってしまうと広くなってしまうか。もっと言えば「演技すること」だった。

自己分析の基本は一つの感情を分解していくことにある。しかし私は演技をしている時の自分の感情をうまく分解できないことに気付いた。

例えば、自分が「H₂O」という感情を持っていたとする。「H」という要素が二個あって、「O」という要素が一つそこにくっついたもの=「H₂O」そのままを抱きながら働ける場所はそうないもので、それなら「H」だけ「O」だけみたいなものを探してみよう、という切り込み方だ。

でも私は「H₂O」を分解できない。私はそれを「H₂O」ではなく「水」としか呼べないから。

 

「なんで演技し始めたの」と問われる時私はいつもブロードウェイで見た『ライオンキング』を思い出す。ちょうど子役の少女が自分と同じぐらいの年齢だった。同じ年齢の少女二人、かたや客席で静かに息をのんで圧倒されている、かたやステージの上で歌って踊って心の底からまばゆい光に照らされたような笑顔を振りまいている。

私はそれが悔しかった。自分にそんな力があるかなんてそんなことそっちのけだ。自分が暗い客席で口を噤んでいなければならない側であることが悔しかった。今振り返ればそれだけ圧倒的で魅力的なステージだったから生まれた感情でもあった。

小学生の時、通っていた英会話教室で年に一回ある短い英語劇の発表が楽しみで仕方なかった。中学生の時、演劇部がないことを残念に思いながら吹奏楽部に入った。音楽を嗜むことは楽しいことだったけれど「これだ」とまでは思えなかった。高校に入って先輩方の舞台を観て、暗い客席で人生二度目の大きな悔しさを感じた。そして同時にこれ以上なく興奮していた。高校生になって初めてまともに舞台の上で演技をした。これが夢だと思った。演技をする毎秒、小さい頃の自分の夢が叶っている。それ以降舞台上で経験したことのない感情の揺らぎに気付く度、例え激怒していても世界に失望していても涙を零していても、心はまばゆい光に満ちていた。

 

私は自己中心的な人間だ。自分はひどい人間だと何度も何度も感じてきた。内省的な性格と趣味をしていると思う。神経質で負けず嫌いだ。疑い深くてこだわりが強い。本来暗い客席で光を見つめるべき人間かもしれない私は、いざ夢を叶えた自分の心の底を照らすこの「光」をどうやって分解すればいいのかわからない。

人を喜ばせたいのではなく、怯えさせ、悔しがらせ、圧倒させたいのだと思う。

自分のアイデアを活かしたいのではなく、自分の守るもののための養分となるアイデアを長い年月をかけて見つけ、来るべき日には世間の目に晒してみせたいのだと思う。

この感情は果たして、社会と私を結ぶのだろうか。

こんな私を友人は「親鳥のようだ」と形容した。過保護な親鳥。卵は私の役達だ。卵を傷つけるものなら本来敵ではないものでも敵とみなす。

親鳥になった私は卵がこの世の何より愛おしい。私が愛さなければ誰も愛することない存在だと心のどこかで知っているから。卵を守り通したいと思う。卵の話をいつまでも語れる親でいたいと思う。醜くて嫌われ者の愛しい卵。

では本番に舞台に立つ私の姿をした「あれ」は何なのだろうか。

私は雛が孵る前にその柔らかい羽肉を食べてしまったのだろうか。あたたかい血を飲み干してしまったのだろうか。そういえば本番の舞台上では確かに「飢えが癒えるような心地」がするのだ。

深夜の選択に足を止める

ネットで漂っていた言葉に「夜に決断するのはやめなさい。朝になっても決意が揺らがなかったら正しいはず。」なんてものがあった。ずっと真夜中に決断していたような気がした。

夜は私にとって、過去への扉が一番大きく開く時間帯だ。

例えばある晩は昔よく友人と使っていたファミレスのことを思い出す。そういえばあそこにまた行きたいねって誰を誘うわけでもなく思う。でもそのファミレスの何かが特別美味しい訳じゃないし雰囲気が好きとか、店員さんが顔なじみとか、そういうのじゃない。またあの時間に戻りたくて、だから行きたいと思う。

例えば、こういう夜に限って中学校の同窓会のグループラインを覗きに行ってしまって、好きだった人見つけてしまうし、ああ同窓会行けなかったなって思うし、まだ変わらず素敵な人なのかな、と自分の中にまだ残っているその人の欠片を探しに行く。

例えば、結局「そこ」から遠く離れようとしても戻ってきてしまう私がいて、それに気づいてしまうのもひっくるめて苦しくて悲しくて一周回って愛しささえ感じる夜も、正直ある。

例えば、ポジティブになりたいわけじゃなくて、ふと感じた好きの風を言葉にして伝えたいと強く念じる。

例えば、英語もそれ以外もできない自分が悲しくて悔しくて、努力のできない自分を愛してほしいと思う欲が出る。

例えば、ちょっとお酒を飲んだ夜は、徐々に深まる夜の中でちょっと感情に振り回されてしまう。栓ができなくなってちょっと落ち込む。

例えば、

私を押し出すのは私が積み重ねた歌。

私を鼓舞するのは私が積み重ねた言葉。

私を見送るのは私が積み重ねた人生。

命を吹き込むことに意味がある、と気付く。気付いた気になる。

例えば、「この気持ち」を大事に書き連ねておこうと決意する。それはきっと私が近い未来に忘れている気持ちだから。

例えば、理想も夢もただの口遊む物語で、私は今という移ろいゆく時間の海の中で呼吸しているんだ、と水面越しに日の光を見るような気持になる。

例えば、見栄を張っても見える人には見える。かっこつかなくとも見てくれる人は見てくれる、と自分が歩くスピードを緩めないように唱える。

例えば、どぶの中でも透き通った海の中でも、私が私でいられるものを忘れることが無ければ私はいつまでも帰ってこれる。そう信じて息を止めて飛び込もうとする。

 

そして全てがわかるのは朝になってから。

朝は救いなのか正気なのか現実なのか、こればっかりは朝になってもわからない。

11月

10月の祭りの名残を引きずって、12月の踏み台にされてる11月の唯一無二の個性を見つけるのが人生のゴールの一つとなっている。

この秋なんだか冬なんだかわからない季節のはざまで人は穏やかな寒さに凍えながら衣替えしたり、運動したり、加湿器を出したり、あたたかいものを食べたりする。

私は11月を好きとも嫌いとも思わない。過ごしにくいとは思う。喜びきれないし避け切れない。昔は夏休みが好きだったから夏が好きだった。今は、秋が好き。11月とは言わないけど。

思えば日常も11月みたいなものだ。イベントとイベントの間に押し潰されても確かに存在する時間があって、私の記憶からは消えても他の誰かや何かは覚えている瞬間がある。高校の頃は大体この時期に前期の活動の集大成である大きな公演があって、11月はある種転換期だった。好きになってきたもの、慣れてきたもの、心地よかったものに丁重にお別れを告げてから少し離れてまた違う道を歩くための時期。何かを殺さなければいけないわけでもなく、何かと永遠に縁を切る覚悟をしなくてはいけないわけでもなかった。ただ、距離を置くだけ。

 

11月の意味を決めなくてもいいけど、11月をどう過ごすかをいつか自分の中で納得させられたらいいなと思う。

例えばどんな未来を描くか

進路選択の度に泣きたくなるぐらい、私は未来のことを考えるのが下手だ。誰しも将来の展望が一つ二つ人間にはあるらしい。私にはない。こうなりたいとかわかんない。未来を予測する努力も苦手。私は今を精いっぱい生きるしかない。精一杯生きていくしかない。

でもやっぱり何度も問われる。

将来の夢とか、この会社に入って何したいのかとか、自分なりのキャリアプランとか。

正直全部面倒くさいと思う。そんなの聞く意味なんてないと思う。2000年代になって疫病が流行って、留学先から連れ戻されてぼんやり生きてたらなんとなく迎えてた秋の夜なんかには特に。

でも考える。今を生きてるだけでは社会的に生きていけないから。偽りの目標を掲げてるだけでは魂がすり減っちゃうから。親とか先生とか自分とか、そういう目を気にして自由に生きられないのが辛いから。

じゃあどんな未来が私に見えるのか、っていわれるとちょっと困ってしまう。書き出したからすごくすごくすごく暇な人だけ読んでみてほしい。

・舞台に生で携わっていたい

・英語・ドイツ語が交わる先にいたい

・年に3回ぐらい海外に行って仕事したい

・結婚なり同棲なりルームシェアなり、人と暮らしたい

・でも一人暮らしもちゃんと体験したい

・いつか本を出したい

…でもそこまでのプロセスの話をされたら耳を塞いでしまう。そういう人間だ、まだ。

だから幼稚な小さな理想を時々思い浮かべて「こういうのが未来か?」と首を傾げたりもする。

例えば、

Amazonポイントを最低10000ポイントまで溜めてから使える人になりたい

・日記を溜めずに書く余裕のある人になりたい

・一年に一回は楽しく旅行できる財力と体力と人間関係を保てる人になりたい

・大失恋を経験してちょっと弱くなりたい

・歩いてる時隣で「これ何の香水」って訊かれたい

・秘密を時効になるまでかたくかたく守っていられる人になりたい

・入店前に足がすくまないお店の方が多い人になりたい

・夜ボロボロになった人の心を自分が出したご飯でほぐしてあげられる人になりたい

・誰かが帰ってこれる場所になりたい

・分厚い専門書をガー!っと読める人になりたい

・正しく叱咤激励できる人になりたい

今思いつくのはこれぐらい。メモしておかないと全部きれいさっぱり忘れてしまうのでちょくちょくスケジュール帳に書いている。そうだ今年の100の目標を書いていなかった。だからなんだかメリハリが無かったのか。

進路なんて決定してもしなくても、上に書いたものは運命によって叶ったり叶わなかったりするわけで、だから私は安直に進路なんぞ決めて安心して直進はできない。何か達成したいゴールに近道なんて実質無くて、ただ奇跡の瞬間を見逃さないように日々目を開けているしかない。

なんてのは最早言い訳でしかないかなぁ。

音のない日

なにも流していないのにイヤホンをつけてた、ってことがよくある。

 

留学してから、イヤホンは魔法みたいにいつでもどこでも私の個室を作ってくれるものだったことに気付いた。ルームメイトが同じ部屋のベッドでパソコンに映るドラマ観て大声で笑ってても、朝の匂いに泣きそうになっても、知らない場所で飛び出そうな心臓を隠すためにも、使える。スマホを買った時のおまけみたいについてくるイヤホンを使ってた時期もあったけど、あれはダメ。安全性の問題もあるけど、完全に外界の気配を遮断してくれるものじゃないと。自分で買うときは防音性の高さを優先した。好きな色にした。オレンジとピンクのちょうどいい塩梅、真ん中。サーモンピンクっていうのだろうか。自分の部屋だから自分の好きな色にしようと思った。家には私の部屋が無い。だから私が初めて自分のお金で買ったこのサーモンピンクのイヤホンは私が初めて自分の意志で持った自分の部屋だった。

帰国してから家族の中に戻って、自分が意識せずにイヤホンをしていることに気付いた。家族が嫌いなわけじゃないけど、人が発する音に惑わされたくなくて、イヤホンする。何か聞かれたら答えるし、話を聞きたいときは頷いて笑って意見を言う。でも時々そこで揉まれるのが嫌で自室にもどってベッドにゴローンと寝ころびたくて、でも自室が無いからイヤホンする。それだけ。

基本的に何するときも音楽を聴いている。受験生の頃学校にWi-Fiが無かったから聴きたいものなんでもダウンロードして教室で勉強してた。教室は人がいてもいなくてもどうしようもなく私の部屋にはならなくて、イヤホンしてても気が散った。スマホで遊んだ。進学校にいるコツコツが得意な女の子達は息をするように無言で机に向き合って、背中を丸めてシャーペンを動かしていた。私はそこに仲間入りすることができなくて、自分は努力ができない怠惰でダメな人間なんだな、と思いながら次の曲を自分の小さなプレイリストから探した。何をしている時も音楽を聴いた。前は好きで音楽を聴いたのに、高校に入った時辺りから考え事するのが苦しくて、考え事をする隙を脳に与えないために音楽を詰め込んでいた。ボカロが好きだったけどジャンルに縛られるのがどうにも苦手な趣味嗜好を持っていたからボカロじゃない、昔母と聴いていたクラシックとか小学校の頃「オシャレ組」と勝手に呼んでた、年齢のわりにませていた同級生たちが体育のダンスで選んでた曲とか、部活で練習してた歌とか、たまたまあなたへのおすすめで見知った曲とか、もう本当になんでも聴いていた。音楽は聞こえるか聞こえないかぐらいの音量が集中力を高めてくれるらしい。音楽なんて聴いて勉強すると集中できないらしい。音楽と勉強にまつわる生物学的論説は星の数だけあった。ある教科を勉強するとき特定の音楽だけを聴いていると、テストでわからなくなってもその曲を脳内に流せば思い出せるらしい。その情報を得たのが受験期が明ける頃に近かったので自分ではそれが本当かはわからなかった。ただ聴いてるだけだった。その時々で流したい曲は大きく変わった。カラオケに行き初めて分かったけれど、スローバラード、誰かが大切な人と別れた歌詞、そういうブルーな曲を好き好む傾向があった。でも、時々突き抜けるぐらい明るい曲とか、無意味に鬱々とした訳の分からない歌詞とか、そういう自分とは違うものも恋しくなって聞いた。自分の「好き」のスイッチがどこにあるのかわからなかったからザーっとスクロールして目を引いたものを選んでいた。同じ曲を2ヵ月聴き続けることもあって、でもその後、まるでおもちゃに飽きた三歳児みたいに、身勝手にそのアルバムごと放置することもあった。大学に入っても聞く音楽の傾向や聞きたいタイミングみたいなものは変わらず不安定で、好きなアーティスト、と訊かれると簡単には説明できなくて困った。でも傾向は掴めてきていたのでなんとなくよく見る作家の名前を口にした。外向きにわかりやすく自分の欠片を噛み砕いた結果だった。

そのうち音楽を聴くことじゃなくてイヤホンをつけていることに癖がついた。なにも流していないのにイヤホンをつけてた、ってことが帰ってきてからよく起こった。自室に閉じこもりたくて、でも自室が無くて、とかそんなこと考えるより先にイヤホンを耳にさしていた。

 

でも時々、音楽も含めた全ての音にノらない時がある。お気に入りのプレイリストを再生しても一番を聴き終える前に飛ばす。そういう集中力が散漫な日。作業はあるのにテーマソングが見つからなくて、普段癖づいているせいで「今日はそういう日なんだ」と気づくのにも時間がかかる。

そういう、音を捨てる日。

そういう日は珍しくイヤホンを取るしかない。小さな私を守る自室から出てみる。で、普通ならやらないこと、読まないもの、見ないものに触れる。自分の中に滞った空気が新しいものに揺り動かされて循環し始める。その瞬間に、あ~生きてるんだ、と思う。何もかもうまくいかないと思っていた日に舞い込む新しい種が芽吹く時、急に文字が具体的に浮かんでこうして形ないものを一から始めるエネルギーがわいてくる。

そして、何かが欠けていないと人は動けない、ちょっとの不幸が創作のスパイスになる、ということに気付いてしまう。

 

自分を守って形作るものから這い出て楽しむ『音のない日』は案外悪くない。

夏が来る

 

忘れられない人がいる。

 

中学二年生、クラスにその人はいた。

私は通っていた中学の中でも意識が高くて賞も何回か取っていた大人数編成の吹奏楽部に所属していた。大体の友達は部活で作っていた。

部活に入部することが義務付けられている私の中学で実質帰宅部だった情報科学部にその人は所属していた。

私の中学は近所の大きな二つの小学校の寄せ集めで、その人はもう片方の小学校から来た。知らない人。静かそう。真面目。そんな印象だった。

絶対に交わるはずがなかった。

ある時同じ班になったのがきっかけ?図書委員で一緒になったのがきっかけ?何故仲良くなったのかは覚えてない。穏やかな中に隠れたいたずらっぽさと、笑った時眼鏡の向こう側で細められた目が、ただの真面目さんじゃないことを私に気付かせた。

その頃の私と言えば、趣味は読書。寝ても覚めても本を読む。好きな歌はクラシックと小学二年生の時に習った合唱曲。テレビ番組もそんなに見ない。漫画なんて母が昔買った萩尾望都清水玲子とその他諸々の古き良き作品以外に読んだことが無い。どこか浮世離れした人間だったかもしれない。幼稚園の時まで滞在していたアメリカにも、生まれ故郷の日本にも染まることができずに家の中のルールで完結した世界で生きていた。

その人が話す『ボカロ』の話題にふんふんと相槌を打って、おすすめされて試しに聴いた曲がとっても良くって、次の日学校に行って「聴いたよ」って話したらすごく嬉しそうにしてくれて、もっともっと、って紹介されるボカロやアニメの世界に、当時何にも染められていなかった私はすぐさま飛び込んでいった。

『推し』とか『萌え』とか『初音ミク』じゃない、『IA』とか。しょうもないようなことを私はそこで初めて知った。

じわじわ体が泡立つ時代と文化の最先端技術が叩きつけられた音楽も、曲と曲で繋がり合うストーリーも、加速していく情熱も、部活じゃ知ることができないものだった。

 

程なくしてその人と始めた交換ノート。小学生でそんなものおしまいだと思ってたのに。私達は絵を描いたり漫画を描いたり短い小説を書いたりして毎日のようにノートを交換し合った。

その人は頭が良かった。

その人は何を見て、何を聴いて、何を隠すべきか知っていた。

出しゃばりで身の程知らずな私が、給食の時間リクエストされて流れるボカロにあからさまに盛り上がって周囲を引かせていた一方で、その人はいつも通り静かに口を動かしていた。

よく知られたオタク御用達のお店、私達の地元にもあった。青いビニール袋をいつまでもぶらぶらさせていると「しまいなさい」とたしなめられた。

自分が応援するボカロPの音楽をシリーズやジャンルにこだわらず積極的に視聴しに行って、場所を選んで「好き」を口に出せる人だった。

その人は漫画家になりたかった。小さい頃お絵かきの延長線上で誰もが目指す夢とは異なり、その人は本気で絵を勉強して、絵を描いていた。交換ノートでリクエストしたキャラクターの立ち絵は美しかった。今まで出会ったどの知り合いの絵より手慣れた線で、その人は『好き』を書きとっていた。

初めて一緒に推してるシリーズが漫画化して、一巻を買いに行かないかと誘ってもらった時、嬉しかった。誰とも仲良しごっこを遊ばなかったその人が自分に見せてくれる優しさが嬉しかった。

その人は仲良くなってみれば甘えたで、手を繋いだり抱き着いたりするのが好きだったのかもしれない。スキンシップなんて暑苦しい、つるみたいだけの女子が青春の真似事で行うものだと思っていた私なのに、その人の白い肌が触れる時は嫌な気持ちがしなかった。寄りかかられた時ふわりと漂う甘い香りが私を安心させた。

受験期を控えたある日、何の気なしに「志望校決めてる?」とメールで聞くと「まあ、一応。」とさらりとした答え。詳しく聞いてみると東京にある私立高校だった。私よりも見えている世界が広くて遠いのか、とぼんやり憧れた。私が駄々をこねたまま立ち止まっている間、その人は自分の未来を他の人に委ねることなく歩き続けていたのだ。

 

中学三年生でクラスが別れた。強気に構えていた私は出ばなをくじかれた。たかだか半年前に知り合った人が、視界の中にいないのがこんなに不安で心細く思うことがあるのかと驚いた。これからどうすればいいのだろう、と途方に暮れた。

それでも毎日ノートを交換することを口実にしてお互いのクラスを訪ねて話すのは楽しかった。休み時間、移動教室ですれ違えばちょっとした立ち話をする余裕があった。放課後パソコン室に時々いるその人をガラス越しに探すのが好きだった。気付いて控えめに笑みを浮かべるその人に譜面台と楽器でふさがれた両手でも精いっぱい手を振り返した。吹奏楽部を引退した後はどちらからともなく誘って一緒に帰るようになっていた。遠回りになるのにうちの前まで送ってくれるのが嬉しかったが、私が同じことをしようとするとその人はやんわりと断って私を帰らせた。

秋が深まり冬が来ると私を安心させるのはその短い帰り道だけだった。どうにかしてゆっくり歩いたり、家の前で話を続けようとしてもやはり引力に引かれるように私達は「また、明日」と手を振った。

両親、特に厳格な父の圧に負けるように、私は遠回りになるその人の家の方向に行くのをやめた。私の家の方に寄って、とも言わなかった。その人は分かれ道で手を振ることが増え、それでも気が向くと最後まで遠回りを続けてくれた。

私は古いタイプの小型音楽プレイヤーを使って、二人でずっと応援していたとあるボカロPが作った一連のシリーズ楽曲を聴きながら受験勉強を続けていた。シリーズ内で時折モチーフとして出てきた「夕焼け」は、現実世界でも自転車で15分程のところにある塾に向かう大きな通りの反対方向から私を照らしていた。茜色の空が美しく広がるその道で、時々振り返って写真を撮った。

 

 

春、信じられないことに、私は第一志望の高校に合格した。

その人を含む友人たちに、シリーズに出てくる秘密組織が出す信号を真似て合格の知らせを送った。何通か返ってくるメールに紛れてその人からはただ、「よかった。」とだけ、その後は特段話題が出てくることはなかった。

 

今なら自分がまだ幼稚で何も気付けない人間だったとわかる。友達全員が受験に成功するわけではない。一人取り残された人がどんな気持ちで「成功者」の隣を歩くのか。そういうことを私は人生の中で取りこぼしていた。

 

そこからだ、何かが歪んできたのは。

受験の前のように、一緒に帰る習慣は続いた。しかし何度尋ねてもその人は進路がどうなったのか教えてくれなかった。ある日、「じゃあ、私も久々にこっちから帰ろうかな」と遠回りしようとすると、その人がぽつり「もっと早くそうしてくれたらよかったな」と呟いた。

口調や態度が大きく変わったわけではなかった。それでも、今までのように軽口を叩いたり、冗談でなりきったフリをしてみたとき、うまくは言えないが意地悪なぐらいに素っ気ない答えが返ってくる瞬間が確かにあった。

 

卒業式、あんなに仲良くしていたのに、寄せ書きのページで書かれたのは二言。

「今までありがとう。これからもよろしく。」

私はノートに書き綴られた長い長いその人そのままの文章を知っていた。同じ人がこんな典型文を走り書きで残すだけであったことに少なからずショックを受けた。

 春休みにその他の友人を含めて行ったカラオケで、私が英語の歌詞を誤魔化さず、そのままの発音で歌うと「そうやって自慢する」と冗談めかして、しかし刺すように馬鹿にされた。言いたいことはたくさんあった。でも喉が塞がれたように声が出なかった。ただ一つ言えるのは、当時の私にとって偽りの音を発することこそ不自然で、私と長く付き合ってきてくれた人にきかせることこそ不誠実なことだった。そしてこの点に関して『仲良くしてきた人』にこんな風に言われたことは今まで一度もなかったためしばらく私は固まってしまった。

 

高校に入って夢中になれる部活に入って、新生活にもみくちゃにされながら、私達はまだしばらく繋がっていた。繋がっていた、と言うか、自分とその人の縁が切れる、なんてことその頃は考えることもなかった。この期に及んでもどうにかなる、時間が解決すると思っていたんだと思う。

 

夏、友人づてにその人の高校の文化祭に誘われた。私はその人の高校をそこで初めて知った。私も名前を聞いたことがあった県内の私立高校だった。

久々に会うその人に変わった私を見せたくて、高校に入って作った前髪を整えてコンタクトを入れて、ちょっとだけ気合を入れた服を選んだ。

 

蒸し暑い道路を歩いて向かった高校の漫画研究会の展示室でその人は部屋番をしていた。私を見るとその人は笑顔を見せた。眼鏡の奥で細められた目が懐かしかった。制服以外には何も変わっていなかった。逆にそれが私達はもう違う場所で生きているのだということを教えてくるようで寂しかった。

最後までその人は私を明確に拒絶することはなかった。それでも、会話の中で時間が解決することなかった、その人から向けられる濁った感情は私を疲弊させた。何度繋ぎ合わせようと必死に誤魔化して顔を上げても、自分が感じるものを自分の中で冗談と下すのはもう限界だった。

夕方、まともに別れの挨拶を交わすことなく、私はその高校を後にした。

悲しくなかった。もう修復されることはない関係だと理解して悲しむのが嫌で、私は腹を立てていた。長い長い帰り道を歩き終えてから、私は持っていたその人とのあらゆる繋がりを遮断して現実に帰っていった。

 

 

 

人間の細胞は六年かけて全て入れ替わる、だから六年たつと人間は物質的にはもう同じ人間じゃないらしい。

あれから六年たった。

笑ってしまうぐらいしょうもない縁で、しょうもない別れ方をした。二人で盛り上がった話題なんて所謂「厨二病」の戯れだった。あんなに嫌いだった女子の仲良しごっこの延長線上にあった儚い関係だったのかもしれない。

それでも地元を歩く度に思い出してしまう。

待ち合わせた小学校前、素直に写真を撮れなかった中学校の桜の木の下、時折胸が痛くなって迷い込んでしまうあの店、青い袋は誰かにせかされるように鞄の奥へ仕舞い込んでまた現実に戻る。もしかしたら会えるんじゃないかって駅構内にぼんやり目を向けて、慌てて改札を通る。

あんなに近くにいたのにもう会う約束もできないのだ思うと、愚かにも自分で切った縁なのに儚さが胸に深く染み入った。

 

それでもようやく理解したことがある。

この人は私の世界を大きく広げてくれた人。

あなたがいたから私は偏見無く愉快で美しい世界を旅し続けられる。

あなたがいたから夏が一層切なく青く見えてくる。

あなたが秘密主義だったの、かっこよかったけどやっぱりちょっと寂しかった。

あなたが教えてくれた夕焼けの色にずっと恋をしているみたいなんだ。

夏は一年の中で空が一番きれいなことを、あなたは知っていますか。

まだ二人で聞いたあの曲を覚えていますか。

ほら、また夏が来る。