深夜の選択に足を止める
ネットで漂っていた言葉に「夜に決断するのはやめなさい。朝になっても決意が揺らがなかったら正しいはず。」なんてものがあった。ずっと真夜中に決断していたような気がした。
夜は私にとって、過去への扉が一番大きく開く時間帯だ。
例えばある晩は昔よく友人と使っていたファミレスのことを思い出す。そういえばあそこにまた行きたいねって誰を誘うわけでもなく思う。でもそのファミレスの何かが特別美味しい訳じゃないし雰囲気が好きとか、店員さんが顔なじみとか、そういうのじゃない。またあの時間に戻りたくて、だから行きたいと思う。
例えば、こういう夜に限って中学校の同窓会のグループラインを覗きに行ってしまって、好きだった人見つけてしまうし、ああ同窓会行けなかったなって思うし、まだ変わらず素敵な人なのかな、と自分の中にまだ残っているその人の欠片を探しに行く。
例えば、結局「そこ」から遠く離れようとしても戻ってきてしまう私がいて、それに気づいてしまうのもひっくるめて苦しくて悲しくて一周回って愛しささえ感じる夜も、正直ある。
例えば、ポジティブになりたいわけじゃなくて、ふと感じた好きの風を言葉にして伝えたいと強く念じる。
例えば、英語もそれ以外もできない自分が悲しくて悔しくて、努力のできない自分を愛してほしいと思う欲が出る。
例えば、ちょっとお酒を飲んだ夜は、徐々に深まる夜の中でちょっと感情に振り回されてしまう。栓ができなくなってちょっと落ち込む。
例えば、
私を押し出すのは私が積み重ねた歌。
私を鼓舞するのは私が積み重ねた言葉。
私を見送るのは私が積み重ねた人生。
命を吹き込むことに意味がある、と気付く。気付いた気になる。
例えば、「この気持ち」を大事に書き連ねておこうと決意する。それはきっと私が近い未来に忘れている気持ちだから。
例えば、理想も夢もただの口遊む物語で、私は今という移ろいゆく時間の海の中で呼吸しているんだ、と水面越しに日の光を見るような気持になる。
例えば、見栄を張っても見える人には見える。かっこつかなくとも見てくれる人は見てくれる、と自分が歩くスピードを緩めないように唱える。
例えば、どぶの中でも透き通った海の中でも、私が私でいられるものを忘れることが無ければ私はいつまでも帰ってこれる。そう信じて息を止めて飛び込もうとする。
そして全てがわかるのは朝になってから。
朝は救いなのか正気なのか現実なのか、こればっかりは朝になってもわからない。